2016年12月23日

毛利勝永、ここにあり! 2 〜毛利勝永って…実は通称?〜

だいぶ間が開きましたが、毛利勝永の第二回でございます。


実は第一回を書いた後、
毛利勝永について書かれた本(小説ではなく歴史評伝)が、
今春出ていた事を知りまして。

それは。

「真田より活躍した男 毛利勝永」 
今福匡著  宮帯出版社

装丁もね、表紙を返すと…毛利勝永の旗印になってる!。
ホントに毛利勝永一人に焦点を当てた評伝って、
自分が寡聞にして知らないだけかもしれませんが、
全然無いんですよね。


で、
今回のソースはこの書籍と、
例によって、
当グログが「腐」なのでリンク貼るとかご迷惑なのでできない、
某超有名歴史サイト様とか、
雑誌『時空旅人/大坂冬の陣夏の陣400年』、
他、小和田哲男先生の本とか…色々と。



今回は少しもどって、
大坂の陣に参陣する前までの毛利勝永をめぐるお話です。


まず、
そもそも…この「毛利勝永」という名前なんですが。
なんと…「勝永」という諱は一次史料では確認できてないらしい。
発給文書その他でも署名は「吉政」で、
家臣からは「吉永」と記されている場合もあると。

そして、
政治的な局面には結構早くから登場し、
公的には「毛利豊前守」という風には称しているらしい。
それでも…幼名なども分からないそうで。

では姓の「毛利」の方なんですが…、
これは以前うちのブログでもやりましたが、
<「森」から出た「毛利」>説がここでも出現。

(詳しくは…こちらを
 ⇒『なに!!お主も、か!w』
 http://ikiikien.seesaa.net/article/174492067.html


毛利勝永の父は森吉成といい、
尾張か美濃か近江か…その辺りの出自では無いか?と、
(でも断定はできないと)今福さんは書いている。

で、
この「森壱岐守吉成(一説には勝信)」なんですけども…、
なんとなんと…、
森三左衛門可成の嫡男:吉光が、この森吉成の父である!、
という説があるらしいんですよ!。
(今福さんの本によると
『吉成&勝永の子孫という高知県の森家家伝」より)

え?…でもこの記述で行くと…、
「森吉光」って「森可隆」と同一人って事になるよね???。
という事は…毛利勝永父は、森長可、成利(森蘭丸)、忠政らの長兄って事に!。
という事は…毛利勝永は、森長可、成利(森蘭丸)、忠政らの甥って事に!。
うーーんんこれがホントなら凄い話だがw、
本当の所は…現在やっぱり全く確証は無いらしい。

というか、この話の異説としては、

「森三右エ門は信長公の家臣で、後に毛利壱岐守と名乗る。
秀吉公の代に豊前小倉城主に成り。
根本美濃土岐の末の由。壱岐守惣領豊前守…」
(同じく今福さんの本中『稲葉氏由緒問答禄』より)とあると。

この<「惣領=長男」が豊前守>の所はまさに、
毛利勝永の事だと考えられますね。
しかし…「森三右エ門が森三左衛門可成」なのか?。
(確かに可成はノブ様の家臣ですけどね)

いやいや…これもね、
なかなか判別するのが難しい話なんです。
というのも、
織田には確かに「森三右エ門」という家臣が居たらしい。
居たらしいが…これは「森三左衛門可成」とは別人じゃないかと、
今福さんは書いている。
そしてこの『稲葉氏由緒問答禄』も、
江戸中期に臼杵藩の稲葉氏から出たもので、
そういう事から考えると…色々錯綜した内容かも、と。

ホントにね、
昔の事というかなんというかは…、
名前が似てる人を同一人と混同したり、
逆に文字を間違えて(置き換えて)いて…同一人を別人としてしまったり、
或は時代が下った頃に書かれた文書故に事実と違った記述だったり、
しかし逆に本当の事だったり…、
いろいろこの辺を探って行くのは大変で、
傍証が無いとなかなかハッキリ断定できないよね。
(でもそれだから調べるのが面白いんだけどw)


で、
勝長の父:森吉成は秀吉の黄母衣衆だったそうで、
その後もずっと秀吉に仕えており、
九州攻め参陣の後、豊前に所領を与えられて入るにあたり、
秀吉に「森から毛利へ」と改姓を促された…とも。
西国では「森」より「毛利」の方が通りが良いだろう、という理由とか。

しかし一方で、『陰徳記』では、
森吉成が「元々私の姓は森と書いたが、
吉川広家殿を通じて毛利輝元様にお願いし、毛利の字に改めた」
と言ったと記されているそうな。
これも全然確定できない、所謂逸話という感じらしいのですが、
とうの「毛利家周辺」ではこんな言い伝えになっているらしい。

という事で。

「毛利勝永」という名は(「真田幸村」同様に)、
通称というか、一般的に世に有名な名前という事に。
(真田も毛利も姓は本当の姓ですが)


もう一つ、ビックリする話としては、
毛利勝永と大野治長が従兄弟同士であるとする説がある事。
なんでも、
『南路志/なんろし』(土佐の歴史や地理、民族などを多岐に渡って取材編集した資料)に、
「勝永の家老の宮田甚之丞、その兄弟の宮田平七、
そして大野治長は勝永の従兄弟である」と書かれていると。
つまりこれ、父:吉成の妻が大野氏か宮田氏の出ではないか?と。
まあでも…これも「確かめられない話」なんですが…。

(因に、毛利勝永が何故土佐に関係あるかというと、
この記事の第一回にも書いたように、
勝永は(父:吉成とともに)関ヶ原の後、
山内一豊に預かりになっていたので。
元々山内家とは知己同士だったらしいし)


で、一方、
大坂の陣の前まで、毛利勝永はどういう人生だったかというと…。

吉成と勝永は上述のように秀吉麾下にあった事から、
勝永も豊臣政権の面々とは早い段階から顔見知りであったと、
今福さんは推測している。


で、ですね。
更に彼の家族について言及しますれば…。

前回、
「大坂入りする決意を妻に語った勝永の逸話」を紹介した、その「妻」、
<正室:安姫>は、この時には既に他界しているので(1610年没)、
前述の話は彼女では無い女性に向けての発言なのか、
後世に作られた「そういう逸話」なのか…という所らしい。

安姫は龍造寺家の娘という事で、
毛利勝永との婚姻も、地元勢力の懐柔と繋がりの強化、
(秀吉の九州攻めにも勝永は参加している)
という側面があったと思われると。

で、九州攻めの後で小倉に入城、その後の唐入りにも従軍。
関ヶ原では鍋島家等とともに西軍となり、
伏見城の戦いにも参陣の後、大一番にて…西軍の結果は御存知の通り。
で…毛利吉成・勝永は改易となって山内家に預かりとなる…と。

ざっと見て来ましたが(ホントにザッとだ^^;)、
色々と彼の発給した文書は残ってはいるみたいなのだけど、
やはりそう多くは無く、よって断片的にしか人生も分からないため、
なかなかに謎のままの人なのですね。

そして次回はやっと!、
毛利勝永の大坂の陣での活躍について、でございます。


☆関連事項☆

『毛利勝永、ここにあり! 1 〜いざ!大坂城へ〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/437705438.html

『毛利勝永、ここにあり! 3 〜龍造寺&鍋島と〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445362485.html

『毛利勝永、ここにあり! 4 〜大一番!大坂の陣〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445713893.html
posted by 夏草 at 01:38| Comment(0) | 大河ドラマ☆真田丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月15日

12月4日に本拠地小政サイトにて拍手下さった方

>14時台に拍手下さった方

訪問ありがとうございます☆。
御礼遅くなってごめんなさい。

小政サイト、ただ今休業中でございますが、
(まんが二次創作は現在、『タイバニ』やってるため…トホホ…すびばせん)
ブログの方はヨロヨロしながらも、歴史散歩続けております。

拍手をどうもありがとうございました。
posted by 夏草 at 19:13| Comment(0) | 拍手御礼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

目指すは…彼奴の首、ただそれのみ! by幸村こと信繁

来週とうとう最終回ですね…『真田丸』。
はあ〜 一年は早いのお…。

そんで今日は…ざっくり感想なんぞを。
(本格的な感想なんかは(きっと長くなるのでw)後日まとめてみたいと)


まず。
アレです…きりちゃんの事。

最初の頃に自分的に思っていたのは、
きりちゃんがしょっぱなから一人暴走してた理由は(暴走ってw)、
きりちゃんと信繁が早くから心通じ合ったりすると…、
実は物語上マズいからでは?と。

というのも『真田丸』はドラマですけれども、
一応史実にも則る前提なので(NHK大河だから)、
きりちゃんとの出会いの後から正室が来るわけで、
そうなると…信繁の妻的女性は(梅ちゃんも入れると)複数となり、
現代の若い人達、歴史的知識があんまり無い人達はドン引きになっちゃうかも…。
(事実、親しい若い衆wに「この状態」を話したらドン引きだったw)

で、
それを回避するために「最初きりは一人カラ周りの元気っ娘」って、
信繁的に(視聴者的にもw)ウザいって設定なのかな…と。
(だからまずは、途中退場してしまう梅ちゃんを持ってきて、
きりの気持ちは成就しない事に展開させたのでは…と)

でもやっぱり「真田信繁」は悲劇なんですよね。

彼を主人公に一年間…そして最期は滅びるわけで…。
これをシリアス全面でやってたら…今時視聴者の方が疲弊してしまいますよね。
(昔は一年で『忠臣蔵』とかそういう時代劇は結構あったんですけど、
辛く悲しく…自分も苦手でしたw)

で、
一昔前は、大坂の陣の豊臣方の敗北について、
「圧倒的に徳川に力があった 或は 上手かった」というイメージが、
歴史好きの間にもあったんですが、
現在はいろいろ史料の検証なども進み、
大坂城内部の混沌がかなり分かって来た事もあって、
「豊臣方の内紛というかゴタゴタでの内部崩壊」という感じになってます。

実際、
信繁も義兄(ドラマではまつの夫)宛の書状で、
「大坂城内ではなにかと気を使って大変です」的なものが残ってまして、
武人としての彼が戦略にだけ没頭できない、
政治的な人間関係を処していかないと作戦を立てる事さえ難儀な、
そういう雰囲気が感じられます。

更に、
当時の大坂城にはもの凄い数の牢人がわんわん集っていたわけだし、
戦の騒然とした雰囲気と城内のもの凄いカオスな空気で、
信繁は本当に大変だったのでは…と自分も想像しています。


なので。

このドラマでは、
きりちゃんは殊更最初から、周囲関係無く、
元気っ娘でなくてはならなかったのか〜と今もっと思うし、
最終的に「だからこそ、報われた感も高い」わけだし、
ドラマの信繁の誠実さも(現代的な意味で)ある程度守られる事になる。

なんとなくここに来て、
尺が足りなくなった感がちょっと残念でしたが、
(きりと信繁のシーンはもうちょっと長くても良かったなv)
それでも…「このドラマのヒロインはきり」だって、
こういう事だったんだな…と自分もしみじみしました☆。

(余談ですけれども、
「側室を持つ」って事はなにも色恋とか多情とかでは無い局面も
非常に大きいんですよね。
もともと当時は…恋愛結婚じゃないし(政略結婚だし)、
もう家と家との同盟の道具です、結婚は。
だから…お殿様だの家長だのに何人か側室いても無問題。
現代の倫理観では計れない所だと思います。

しかし、
それも含めて…人間ってホントに興味深いものだなと思うのは、
政略結婚でも仲睦まじい夫婦もいたので、
『真田丸』でいうと…信之兄ちゃんとことか、
宇喜田さん家とか、毛利元就さん家とか)
結果的にせよ、
全てが権謀術数の非情な婚姻では無かった…という点ですね。
そこは人間の世界 という事で)


あとね。

政宗様と小十郎の出番!…良かったスルーされなかったよ(わはははは。
この辺は史実だけど、ドラマだから端折られちゃうかな…とドキドキw。
(でもホントは小十郎は父では無く息子(二代目小十郎)の方なんだけどねw)

で、
最期までネタ武将だったな、政宗様(わははははははは。
(他所様でちらほら「チャラ宗」って書かれてるのを見て…吹いちゃったよw)
歴史的な事を言うと…ずんだ餅はちなみに、当時あったかどうかwww。


でもま、
政宗公はもういいんですよ(ナニがw。
もうね、レッツパ〜リ〜でもへうげ大名でもずんだ餅でも。
もうね、御本人の史実上の正真正銘の壮大無敵なフリーダム加減を考えると…、
「どんないじりも無問題」的な人だと思います、ええwww。


しかし、
今回のドラマを見てても…つらつら考えた事が。

それはね、
伊達政宗が真田信繁の子女をどういう経緯で匿ったか?という点です。

これね、
「真田信繁からの申し出があって片倉家(伊達家)が受けた」という説と、
「戦場でお梅らを乱取りした後、真田の子女だと分かって保護」
という説がありまして。

戦場での乱取り。

十分あり得る話だと思いますが、
(事実、長宗我部家の子女も大坂の陣で伊達家が乱取りらしい)
でも…そうだとすると、
真田大八を一度は「片倉守信」として(片倉姓として)おいて、
後で「真田に復姓」させたりするかな?。
(この時は幕府の詰問があり、
伊達家側は「この子は真田信尹(信繁叔父)の息子である。
いかにも京都で養育していたが…印字打ち(石を投げ合う危険な遊び)の最中、
石に当って死亡した」と嘘の報告を上げて幕府の追求を払いのけています。

そしてこの時守信は、時期尚早として片倉姓に戻り、
後々子孫が「真田」に完全に復姓していますね)

つまり、伊達家では当時の価値観である
「武士の家名、武将の家を守る」という事を重視しているからこそ、
「真田への復姓」に拘ったという事ですよね。
という事は…正にちゃんと「真田信繁からの依頼があった」のでは…と、
自分は思います。

何故なら、子供達の生命を助けるだけなら「片倉姓」でいいわけです。
それで生命は安泰です、寧ろ。
しかし危険を犯しても「真田に復姓」という事、
これは「そういう願い(或は前もっての密約)があったから」では…と思うんですよね。
だって「真田」ですよ…伊達家には力があったとはいえ、
幕府相手に非常に危ない橋を渡る事になるわけです。

で、
「ほとぼりが冷めるまで待つ」=「そこまで粘ってまでの復姓」って、
どれほど家名に拘ったか…という事を思うのですよね。
昌幸お父や信之兄じゃ、そして信繁。
真田的生き方としてそうだったんじゃないかな…。
で…やはりそこは伊達家もちゃんと真田家に応えたと…。


そしてドラマ『真田丸』は、
伊達政宗の胸中、真田信繁の胸中を具体的に描く事はしなかった。
でもそれだからこそ…色々みんなで想像できる余地があり、
なかなか興味深かったです。


最後に来て『真田丸」で個人的に嬉しかったのは、
大坂城五人衆を三谷さんが描いた事。

信繁(幸村)はそれはもう大有名ですよね。
後藤又兵衛は比較的知られている武将ですが、
長宗我部盛親、明石全登、毛利勝永とか…、
歴史好き以外にあんまり知られていない武将達ですから。
(明石全登さんなんて、(一般的にはてるずみだけど)
実は「ホントーは名前をどう読むのが正しいのか」さえ、
諸説ある人ですからねw)

いやホントに…この武将達が全国区になって良かったよ。

(くはっ、
うちのブログでも毛利勝永さんのシリーズやってるけど…、
多忙過ぎて書けなくてトホホです。
でも!最終回の前には終わらせますぜい!)

それから。

上でも少し言及しましたが…伊達政宗公は長宗我部盛親さんとも、
大坂の陣の時に実は縁がありますね。
そして!!なんと…子供が…真田さんとも!!!。

その辺、昔うちのブログでも書いてみたんですが、
一応その関係図を貼ってみます。

sibatageki.jpg


因に、
この図では「長宗我部家の女性が政宗公の側室になった」事を示しているのですが、
この「長宗我部家の女性」が、
a)「長宗我部元親(=盛親の父)の娘で、佐竹蔵人義直と結婚していた阿古姫」説
b)「長宗我部盛親と結婚していた、信親(=盛親の兄)の娘」説

と両方あるんで併記しています。

b)だと「叔父と姪の立場で結婚していた」という事ですね。
しかも…盛親さんの正室です!。
年代的にこちらの説の方が有力かも…。

政宗公がこの女性を「側室にした」理由ですが、
彼女がある程度身分のある女性だという事が分かり、
従ってそれなりの待遇をするためには「側室にする」事が、
女性の地位を守る事になる…という事だと思われます。
(そしてこの女性は後々、能筆で有名だった政宗公に、
「書を書いて下さいと頼んで」いるので(書状が残っている)、
二人の関係は良かったと見受けられます)

(いやいや単純に…美しい女性だったから側室にした!説もありえるけどねw)

更に。

御存知の方も多いと思いますが、
長宗我部信親は元親の嫡男で(盛親は四男)秀吉の九州遠征の時、
戸次川の戦いで戦死したんですよね…。
(しかし…あれも心痛む話なのだ…;;)

でもって、
後に、「(「伊達騒動」で有名な)柴田外記朝意になる男子」は、
この長宗我部の女性の連れ子です。

でもってでもって、
「長宗我部家の女性は政宗公の側室になり」、「娘が生まれ」、
(この娘は柴田外記と異父兄弟ですね)
この娘と「真田大八」が結婚!!!するんですよ……。

という事は…「片倉長七」は長宗我部家と真田家と伊達家の血が!!!
流れている!!!という事に!!!。

いやあ…小説より凄いです、この辺の話は……。

(☆内容はこちら…☆
「竜の兄さん、俺の孫を頼むぜ! byアニキ 〜1〜」
http://ikiikien.seesaa.net/article/142157563.html

「竜の兄さん、俺の孫を頼むぜ! byアニキ 〜2〜」
http://ikiikien.seesaa.net/article/203667713.html


こうして戦国時代は終焉を告げ…時代は泰平の世へと移ろい行くのでございます…。
posted by 夏草 at 17:57| Comment(0) | 大河ドラマ☆真田丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

逃げて守る

今朝の地震…怖かったですね。
長く揺れたので不安も長引いた…。

やっぱり大切なのは避難です。
今回多くの皆さんが早め早めに避難したそうで…良かったです。

そして今日、宮城県沿岸への津波警報が遅れました。
ここはやはり「自分の感覚を大切に」。
誰が何を言わなくても「これは危ない」と思った時は、
ホントに一目散に逃げてください!!。

日本は自然災害の多い国。
頑張りましょう!!みんなで!!!。
posted by 夏草 at 23:52| Comment(0) | 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

突撃☆御本人2 〜井伊直政さん〜

シリーズ第二弾でござる!。

話は実は、今年の夏に遡ります。
(今年は自分、ものっっっそ出張の多い一年でして、
日本の北から南から…かなり駆け巡ったんですが…)
また東海地方にも行って、
そして初めて!岡崎城へ行って来ました!!。


おおーーーーーーーーーー。
これこそ権現様のお城!!。

徳川(松平)家と岡崎城の関わりといえば。
そもそも、権現様の祖父:松平清康が入ったのが最初で、
竹千代君もここで生まれ、
一度今川に取られるも…桶狭間の戦い以降取り戻し、
そして、
権現様の嫡男:信康さんの悲劇もここで…。

でも行ってみたら…ホントにこのお城はすっかり街中。
堀とか石垣とかは残ってて、天守も1959年に再建されてるんですけども、
(岡崎城公園として綺麗に整備されているからだと思うんですが)
傍らに凄いタワーマンションとかも建ってて、
世が世なら…お殿様ン家を覗く事になるな〜…なんて面白かったw。

そう、その岡崎城公園なんですけども。
いろんなものがあります。
本多忠勝の像とか、家康公?が舞う仕掛け時計とか。

で…二の丸の辺をブラブラしてたら。
やや!…なんか…凄い渋いオーラの方が!、
あちらの方からやって来るじゃありませんか!。


「あのお…すみません、どちら様でしょうか?。」
「榊原康政でござる!。」

201607okazaki02.jpg


おおおーーー!、
こちらはグレート家康公「葵」武将隊、
徳川四天王の一人、榊原さん!!!。

この方のお姿もいぶし銀ですが☆、
(この日はすんごい暑かったんですけど…この衣装で奮戦してらっさる)
史実の榊原康政も渋い三河武士という感じですよね。

恐らく一番有名な、徳川秀忠の関ヶ原遅参の話の時も、
(最近の解釈では、
真田の上田城で足止めくらったという事と、
実はその後、
凄い悪天候でなかなか進軍できなかったという事での遅刻、
という事らしいですね)
ビシっと権現様に言うべき事を言ったんでしょうね…。



話を「葵」武将隊に戻しますと、
この日は家康公はお城には居ないみたいで、
こちらの三人の方達が登城中でした☆。


左から…、
井伊直政さん、酒井忠次さん、そして榊原康政さん。
(徳川四天王の3/4の皆さんですねww)

201607okazaki01.jpg


酒井忠次さんも暑そう。
史実より大柄な印象ですよね、なんて言ってみたら、
「そうなんじゃ…現世では少しがっちりしたんじゃ」な答えがw。

で!、
井伊直政さんにお会いしたもので…、
ここでも御本人に聞いてみたかった事を聞いてみました!。

「来年の大河、直政さんは主役(の一人)ですよね!」

すると直政さんは、
「それが…ちょっと微妙なんじゃ。
直虎殿は、それがしとちょっと年齢が離れているので、
それがしがやっと元服した頃に亡くなってしまうのでな。」

酒井さん「だけどもう(直政の)キャストも発表されているからの」
  私 「え?誰ですか?」
直政さん「菅田将暉さんらしい」
  私 「ええーーあの俳優さんですよね、最近ブレイクした感じの。
     それじゃ直政さんも主役ですよ完全に。
     彼は…auのcmで鬼ちゃんも演ってる人でしょ?。」
直政さん「そうじゃのお……。
     どちらも鬼という事で。」

………くはっっっっ一本取られたぜwwwwwww。
(井伊の赤鬼とauの鬼ちゃん繋がりって事で…^^;)


……つか、またキサマはなんちゅう事を訊いてるだよww。
ホント熱中症になりそうな炎天下で、
こんな話に答えて下さった三天皇の皆さん、
ホントにありがとうございました☆☆☆。

大河ドラマは直虎さんが一番の主役なんで、
直政さんは子供時代しか描かれないのか…と思っていたんだけど、
それじゃ元服くらいまではやるんだね、ドラマ。

史実上の井伊直政の初陣は、普通に十代だったけど、
元服は二十歳そこそこまでずれ込んだ筈なので、
ブレイク中の若い俳優さんを持ってきたのかな。


それにしても(当たり前かもしらんが、
どこへ行っても武将隊の皆さんは、凄く自分史&国の歴史を御存知。
史実の話をするのも面白いですね。


最後になりましたが、
このお城公園にある「三河武士のやかた家康館」も外せません。

特に凄かったのが…「決戦・関ヶ原」のジオラマ!。
これが色々と動くんですよ…各武将の隊とか!。
凄い見入っちゃいました!!凄く楽しかった。
これはまた見たいくらいです☆。

という事で。

このシリーズ、
またどこかのお城で武将にお会いしたら…、
突撃?!してみたいと思います☆。
posted by 夏草 at 00:34| Comment(0) | 武将隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月19日

突撃☆御本人1 〜片倉小十郎重綱(二代目小十郎)さん〜

突然ですが。

いやあ…ついに!
アノお二人にお目にかかる事ができました。

そう、それは今をときめく
真田左衛門佐信繁さんと片倉小十郎重綱さんです!!!。

sendai04.jpg


先日仕事で故郷:仙台に帰った時に、仙台城趾にまた登ってみたら、
伊達武将隊の皆さんが…なんとこの組み合わせでいらっしゃいまして。
え?二代目小十郎さんはまだしも、何故左衛門佐さんが仙台城にって?。
世の中真田人気だからって、便乗するのも大概にしろいって?。

いやいや…戯れ言をすみませんwwもう皆さんおなじみですよね。
そうなんです…史実的にはアノ話。


大坂の陣の時、
息子娘を大坂城に連れて来ていた信繁。
道明寺口の戦いで相見えた伊達軍、
その先鋒が小十郎重綱(二代目小十郎)。
信繁は伊達との戦いの後に、
徳川本陣を急襲し最期を迎える事になるのだが、
その前に(一説には前夜)次男:大八と娘達を重綱に託した…と。
(長男:大助はやはり…お父さんと運命を共にしたんですね…)

その後、
伊達家と片倉家は徳川幕府の追求を払いのけ、
真田家の子供達を片倉の家に入れ、
真田大八を片倉守信として守りきり、
もう大丈夫となった後年、
守信の息子:辰信の時に真田姓に復姓させた。
因に、長女:阿梅は、小十郎重綱の後室となっている。

干戈を交えた敵に我が子の命を預け、
また預けられた方も命がけで敵の子女を守った。
そういう数奇な運命で結ばれた片倉家と真田家。

(当ブログでも以前、伊達家、片倉家、真田家と、
長宗我部元親アニキとの繋がりも絡め、こういうの書きましたが…↓
『「竜の兄さん、俺の孫を頼むぜ!」 byアニキ  〜2〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/203667713.html )


なので!、
真田信繁さんは片倉重綱さんの岳父って事で、
二人は義理父子って事で、
伊達武将隊に信繁さん重綱さんが数年前現れた時から、
これは凄い!お二人の写真撮れたらな〜ってずっと思ってまして。


とゆ事で。

カメラを向けると…ポーズ決めて下さったんですけれども!、
(迫力ありました☆)
実はこの画、ホームビデオで撮った元々は動画で、
ブログに映像乗せるのに、
動画ファイルを小さくするソフト持って無くて(トホホ、
今はすみません、そんな訳で連射写真を貼る事にします^^;。
(ゆくゆくは加工して動画貼りたいっす☆)

ではでは、
貴重なツーショット行ってみます!。
(因に背景は現代の仙台市。青葉城趾本丸からの眺めでございます!)


「それでは…行くぞ!良いかな?」
sendai01.jpg


「ずんだ…」
sendai02.jpg


「…餅!」
sendai03.jpg


という事で。

……カッコいいですね!!!。
お二人とも決まってます!!。

重綱さんはものっそ顔ちっちゃ!で、
目力がハンパ無く凛々しくジェントルな若武者。
信繁さんはお義父さん…というにはやはり若過ぎな、
(歴史的には48歳だけど、まあそれはねwww)、
男っぽい、赤備えがお似合いの岳父さん。
寒い中だったんですけれども、ホントにありがとうございました!!。



ホントにね、
史実的にはあり得ないツーショット…、
自分的に今更ながら…なんか…すんごい感慨深いなあw。
今って…平成って平和な時代で良かった!!!。


……んーと。

そうじゃなくて!、

それだけじゃなくて!www、

今回のブログのタイトルは「突撃☆御本人」な訳ですよ!、
訊いてみたかった事を訊いてみたです!御本人に!!。


では!重綱さんに直撃!
「果たして『真田丸』には重綱さんと左衛門佐さんの話は出るのか??」

重綱さんはうーんとちょっと考え、こう答えて下さった。
「先週の段階では親父殿(小十郎景綱=初代小十郎)がドラマに出ていたんじゃが、
史実だと当時、親父殿はもう病床にあり、
本来ならわし(=重綱)が大坂には出陣しているハズ。

しかしまだわしのキャストは無い。
舅殿の娘息子(=阿梅&大八)は、親父殿と御屋形様(=伊達政宗)が引き取る…、
という形になるのではないかと思う。」


ええー残念だなあ…。
重綱さんは史実的にも勇将でイケメンの誉高いのになw。

つか!、
キサマはナニを質問してるんだよwww。
訊かれた方も困っちゃうよねwホントにすみません^^;。



まあでも…やっぱり『真田丸』は西方の話が中心だし、
どうも「コスパがいい大河」とか言われてるんで…、
キャストをこれ以上は増やさないのかもしれないし、
景綱さんと重綱さんの所を描く時間も無い…という所なのかな。


さあさあ!どうなるんでしょうかね!大ラス『真田丸』!。
史実のように子女を伊達家は託されるんでしょうか!!。

最終的には信繁さんは亡くなる訳だから悲劇的なんですけれども…、
子供達に未来を開き託す、という道も残した所、
「決して諦めない真田」という感じがビシビシして、
個人的には好きなのですが!!!。

そして。

皆さん、仙台城趾にお越しの際は…、
是非伊達武将隊の皆さんを探してみて♪。
色々仙台の話を教えてくれて頼り甲斐があるし、
一緒に写真撮るのって!旅の良い思い出になるし☆。


☆名前について☆
この記事の中で「重綱」さん表記になってるのは、
伊達武将隊の方でお名前が「重綱」さんなので。
二代目小十郎さんは元々「重綱」だったけど、←父「景綱」さんからの偏諱(へんき)
後に、徳川家綱に遠慮して「重長」に改名。←将軍に遠慮するのはよくある例
因にうちのタグは「重長」さんになっとります
posted by 夏草 at 23:20| Comment(0) | 武将隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月22日

災害の国に生きる

鳥取の大地震…余震が続いているそうですね。
恐ろしいし危険ですが…どうか皆さん、お気を強く…。

日本は自然災害の国。
特に東日本大震災からこちらは…もう日本列島は、
そういうモードに入ってしまったという感じですね。
私の実家も東日本大震災の被災地にあるので、
その後起こる地震が本当にひとごとには思えません。

自然の脅威と恵みと共に生きていく。
すごく大変だけど…我々の宿命とも言えるのかな…。

私たちも自然の一部として…共に生きて生きましょう。
…共に…諦めずに。
posted by 夏草 at 23:17| Comment(0) | 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする