2017年01月05日

美味し国日本!

さあ〜〜〜2017年も始まりましたっ♪。

今年のうちの正月は…日本酒だ!(わははははははは。

そうなんですよ、
ここ数年日本酒にハマってます。

あんまり量は飲めないのですが、好きな飲み方は「冷やで辛口」、
お刺身とか蕎麦とかお寿司とか鍋とかと一緒に!!!。
ああ〜〜こんな時つくづく思います、
日本人に生まれて良かった(わははははははは。

まずは…我が故郷:仙台の、宮城の日本酒。

このブログらしい事をまず書くとすれば、
御存知の通り、
お酒大好き伊達政宗公と日本酒の逸話として、
親しかった柳生宗矩から南都の杜氏を紹介してもらって、
仙台城で酒作りしたのが「仙台藩の御用酒発祥」だったという辺り。

そんな宮城の日本酒、
今は…浦霞、一ノ蔵、日高見…沢山ありますね!。
(伯楽星はまだ飲んだ事が無い……飲んでみたいなあ♪)
東北は何と言っても米どころ、日本酒どころ。
お酒が美味くないはずが無い!。
でも他県のお酒は(岩手の南部美人くらいしか)
ちゃんと飲んだ事が無いので…今年は東北のお酒を沢山飲んでみたいなw。



で、
去年は富山&新潟に行ったので、
北陸のお酒をできるだけ飲んでみました。
いやあ…もうね、北陸の日本酒も感激の嵐。
北陸も米どころ、日本酒どころだもんね♪。

久保田、北雪、勝駒、手取川、〆張鶴、上善如水、若鶴、麒麟山、林酒造場…
綺羅星のごとく立派な酒造が目白押し!。

久保田万寿のような文句無しの美酒もいいし、
北雪も好きだな〜、
そして勝駒黒部峡も美味しかったし、
麒麟山や苗加屋の味も凄く好きだな。
スッキリした端麗辛口も好きですが、
意外と個性的な味わいの日本酒も好きです。
素晴らしいな北陸!。

ところで。

「冷やで辛口」が好きと言いましたが…、
実は奈良のお酒にもちょっと好きなのがありまして。
上にも書いた柳生宗矩の話にもありましたが、
奈良といえば…南都。
日本酒発祥の地とも言われているそうで。

その中で、
春鹿と酒呑童子…これも私の好きなお酒ですw。

自分としては珍しい事なのですが、
春鹿は(超辛口もあるらしいけれども)余り辛く無い、
寧ろやや甘口ものを冷やで、
酒呑童子もやや甘口のをぬるいお燗で飲むのが好き。

これらは実は、
京都のお店で「京都の和食に合う」と勧められて。

(2017.2追記☆
2017年現在「酒呑童子」の蔵元さんのHP見たら、
「「純米酒呑童子」はリニューアルしました」と書かれていて、
「辛口」と「大辛口」になっていまして。

自分が飲んだ頃よりも「辛口」になってるっぽい。
当時は京都人の友人お勧めの老舗の料理屋さんの中居さんが、
「これはやや甘口で…」と言っていたんで、
「甘口の酒呑童子」と記憶してるんですね…。

次回京都に行く時には是非「辛口酒呑童子」を試してみたいな…)



そうなんです、
やっぱり日本酒も「その土地の食べ物や料理に合う」ものがあるんですよね。
(多分ワインや他のお酒もそうだと思う)
だから…自分的には相対的には辛口が好きだけど、
でも西の方へ行くと…やや甘口でも美味しく飲めるし、
その上お燗でもいけてしまう。
日本の食文化は素晴らしい…。


父と祖父がもの凄い吞ん兵衛だったんですけども、
そして自分は長年全然下戸だったんですけどもwww、
まさかこのトシになって日本酒にハマるとは!、
そして案外飲める自分になるとは!。

これは…もしや「眠れる日本酒好きのDNA」が突如覚醒したのか!!、
だとしたら…またすんごい素敵な、
そして悩ましい煩悩をもう一つ、しょっちゃったよ(^^;。
posted by 夏草 at 23:33| Comment(0) | 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月31日

感慨無量…

今年もあと少し……。

皆さんにとって今年はどんな一年でしたか?。

自分的には…ちょっと仕事が変わった事で、日本中飛び回りました。
北は函館、南は宮崎…そして新潟、富山、滋賀、愛知、浜松、神戸、仙台、
目が回るような移動の連続で、なかなかへとへとになりました^^;。

お城もあっちこっち行けました。

ついにとうとう姫路城、
改修が終わった小田原城、
小さいけど中の博物館が素晴らしい富山城、
念願の小牧山城、
里帰りでの仙台城、
そしてお城じゃないけど、井伊直虎の龍潭寺…。

どんなお城も歴史的な場所も素晴らしくて、
そこで繰り広げられた歴史や逸話にドキドキ!。

そして…年末には横浜で「お城expo」。

去年までと打って変わって本当に外へ出て、
いやあなんというか…もう盛り沢山な一年でした。
なかなかブログにまとめられなかったけど、来年またぼちぼち行きます^^。

そして、自分的には、
体調を壊さず予定を全て消化出来て良かったよ…。
頑張ったで賞を自分で自分にあげたいと思いますwww。



今年も当ブログに遊びに来て下さった皆さん、
「腐」友の皆さん、
歴史友の皆さん、
普通の友の皆さんw、
イベントでお会いした皆さん、
そして相変わらず特撮オタクなツレ、

どうもありがとうございました!。

皆さんも是非、
この一年の長丁場を頑張った自分に「頑張った賞」をあげて下さい☆。
良いお年を&健やかな新年を!!。


PS/今年の「紅白」…MVPは武田アナだっっ(わははははははは


posted by 夏草 at 23:44| Comment(0) | 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

毛利勝永、ここにあり! 3 〜龍造寺&鍋島と〜

さて…今年も押し詰まって参りましたが!、
毛利勝永第三回でございます。

ついに大坂の陣の話に辿り着いた!……着きたい所ですが(ぇ、
それに至る経緯にちょっと触れてみたいと。
特に、
後に勝永軍が対峙したとされる鍋島家との縁を、
そして九州との縁を少し見てみたいと思います。


前回ちょっと出ましたが、
毛利勝永の室は龍造寺政家の娘なのですね。

龍造寺といえば…九州の勇であり、
政家の父:竜造寺隆信がとっても有名で、
御存知の通り、
この龍造寺家と鍋島家も切っても斬れない縁ですよね。

毛利勝永の家と龍造寺家との繋がりの発端はというと、
勝永の父:森吉成(毛利勝信)が秀吉の奉行として九州攻めに参加し、
(秀吉本隊所属の一番隊だったらしい)戦功をあげている所から。
その中で、香春岳(かわらだけ)城を秋月氏から接収するという時、
龍造寺家と一緒に仕事をしているらしい。
で、吉成はその他功績を認められ所領を得、小倉城に入っていると。

因に、
この頃の勝永はまだ10歳前後の少年期。
彼の様子が、安岐毛利家の文書に次のように残っているらしい。

天正16(1588)年、
毛利輝元は秀吉に臣従の意を示すために大坂入りした。
(輝元は元々秀吉の命で四国攻め、九州攻めにも従軍しているので、
臣従自体はもっと早いものだったのだけど、
これが正式で大きい区切りだったらしい)
で、
森吉成の屋敷に招かれ「お能」で、もてなされているらしい。
ここで勝永が!太鼓を叩いているという…。

太鼓!。
自分も少しだけ能管をやるのですが、太鼓難しいです。
(囃子方の太鼓、大鼓、小鼓、能管、どれも難しいには違い無いんですが)
能の「序破急」という調子をどう持って行くのかについて、
太鼓の力ってとても大事で、
音自体も上手が打つと…とてつもなく良い音なんですよね。

まして…毛利家のような大家をもてなす舞台なんて、
少なくてもちゃんとある程度の技量をマスターしていないとつとまらないと思う。
でもまだこの時の勝永は11歳くらいとか!。
そして更にこの後日、輝元一行は飛鳥井雅春の蹴鞠の会に招かれ、
(飛鳥井家は和歌や蹴鞠の家らしい)
この時吉成・勝永父子も相伴してる…と。

能の太鼓に蹴鞠(もしかして和歌も)…。
勝永はつまり、もの凄くちゃんとした教育を受けていた…という事ですよね。
どうも父:吉成も「茶人」としての認知度が高かったらしいので、
この父子は想像以上に風流の道も嗜んだのかもしれません。

でもね、そうなんですよね。
「戦国時代」という呼称からか、
ついつい「戦に強い人が上位」っていうような印象が強いと思うんですが、
実は当時の「ちゃんとした人」っていう定義には、
和漢の才や茶の湯、能楽といった教養は不可欠だったと思われ。
武の道と並んでこれがあって、
「アイツはひとかどの人物=立派だ」となるんで…、
森吉成、毛利勝永父子だってそういう側面が無いと、
ましてやバックはあの秀吉なのだから、
こんな出世とかしないんだろうな…と思いました。


そして。
父子はその後、唐入りに参陣し、太閤の死を迎え、
関ヶ原へ大坂の陣へと進んで行きます…。


そんな中、
鍋島さん家との繋がりについてですが…。

九州攻めで仕事を一緒にした龍造寺家と森吉成。
そして、九州勢の懐柔策の側面もあったようで、
勝永は龍造寺政家の娘を室に貰ったと。

天正15(1587)年、政家が当主であった頃には既に、
龍造寺家の「仁王門」と言われた鍋島直茂は秀吉の直臣になっており、
且つ、実質的に龍造寺家の執政をしていたそうな。

その後、
九州平定に伴って起こった肥後国人一揆の鎮圧に、
佐々成政が失敗し、責任を取って切腹となるのですが、
この平定には、
最初の頃から秀吉の命で森吉成も加わっていて、
最終的に謀反の首謀者達を小倉で成敗したりしているらしい。

そして、
天正16(1588)年には鍋島直茂は長崎代官になり、
高来郡深堀の深堀純賢が秀吉によって追放され、
森吉成とともにその後の代官にも任じられたそうな。

天正18(1590)年、
一度政家の息子:高房が家督を継いだが、
(高房は勝永の室の兄弟ですよね)
直茂の孫娘と縁組の後、高房が鍋島の支配強化に反発し、
(これは秀吉が直茂の方を重用していた事に起因するようで)
この室を殺害し自分も自刃するという事件を経て、
同年、直茂の子:勝茂が、
龍造寺家に変わって当主として秀吉に認知されるに至っている…と。


で、
こういう龍造寺家と鍋島家の関係って、
どうやったら分かり易くなるかな〜と、
ちょっと現代敵な喩えを考えてみたんですけども…。

九州で頭角を現した龍造寺という企業があった。
そこへ中央から豊臣という大きな同業者が九州に乗り込んで来て、
龍造寺家はその傘下に入って一種子会社となった。
しかし、
二代目社長の龍造寺政家が病弱だったり本社社長と合わず、
龍造寺家の経営が不安定になってしまった。
そこで、本社社長が人事を刷新し、
龍造寺の副社長:鍋島直茂を本社採用とし、龍造寺の経営を事実上任せたが、
次の新社長:高房の不満が高く、突然退社してしまったので、
鍋島勝茂(実質直茂)にあらためて社長職を継がせる事になった…と。

う〜ん…微妙な感じも無いわけじゃないけど…(^^;、
一応こんな感じでまとめておきますw。


さて!、
次回はやっとの事で!大坂の陣でございます!!。


☆今回参考にしたもの☆

『真田より活躍した男 毛利勝永』(今福匡 宮帯出版社)
『信長・秀吉と家臣たち』(谷口克弘 学研新書)
『秀吉家臣団の内幕』(滝沢弘康 ソフトバンク新書)
『羽柴を名乗った人々』(黒田基樹 角川叢書)
『鍋島直茂』(岩松要輔 夷光祥出版)
『時空旅人/大坂冬の陣夏の陣400年』(ムック 三栄書房)

他、
小和田哲男先生の本…色々と。
例によって、
当グログが「腐」なのでリンク貼るとかご迷惑なのでできない、
某超有名歴史サイト様



☆関連事項☆

『毛利勝永、ここにあり! 1 〜いざ!大坂城へ〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/437705438.html

『毛利勝永、ここにあり! 2 〜毛利勝永って…実は通称?〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445161745.html

『毛利勝永、ここにあり! 4 〜大一番!大坂の陣〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445713893.html
posted by 夏草 at 00:45| Comment(0) | 大河ドラマ☆真田丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

気になる彼女

以前からお気に入りの歴史番組がありまして。
それは…、

『英雄たちの選択』NHK BSプレミアム 

私個人、歴史に対しての興味はさまざまあるのですが、
(人物個々人、その人間関係、お城、政治、宗教、社会の様子、
食べ物、武具&道具、そして芸術と芸能…等々)
しかし、その中で一番いつも考えるのは…、

「彼、彼女は一体どんな事を考える人、
どんな気持ちの人だったか?」って事です。

歴史上の人々は現代とは違う考え方、感覚、
そして違う社会に、違うルールで生きていた。
だけど、
人間の情動や思考のある部分は普遍的。
なので…この辺を考えるのが面白いんですよね。


この番組、
「史料から、自分の専門からそこを考えてみる」という、
まさに自分的趣味にバッチリ合致。
(でもこういう人は多いですよね☆)
なので、楽しみにしてみているのですが。


司会の磯田先生を始め、
有名な歴史学者、小説家、漫画家、
時には軍事戦略家、国際交渉の専門家、
そして哲学者、経済学者…様々な立場の人達が、
「自分なら」という立ち位置で歴史上の人物を見てみる所、
なるほどな〜とか、そういうのって考えつかなかったとか、
色々と興味深いのです。


で。
その中にひときわ、私個人の興味をかき立てる女性が…。

脳科学者の中野信子さんです。

中野さんを初めて見た時は、
「こんなにお綺麗な上に東大大学院とか…すごいんだなあ〜、
もうまさに才色兼備、しかも物腰も落ち着いてて大人な女性」と思いました。

が。

この番組では「あなたが○○だったらどうする?」という問いがあり、
(例えば『あなたが上杉謙信だったら、後継者を誰にするか?』とか)
選択肢AかBか…決めなくてはならないのですが…、
中野さんはいつも「敢えて攻めた回答」するんですよねw。

温厚で理知的な先生なのに、
リスクを取る凄く熱い人なんだな〜!と、
(否、リスクを取るのが理知的では無いとは言えないけどw)、
ギャップが面白く(イメージ的なギャップに人間は弱いですよねww)、
先生は漢だな!と、ちょっとワクワクして見ていましたがw、
(わははは…自分は漢な人が好きなのでwww)、


その後、他局の別番組で中野さんが、
聖飢魔Uの「蝋人形の館」をカラオケで熱唱しているのを見て!、
盛り上がって来た所で自分の髪の毛をむしり取ったのにビックリし!、
いつものお美しい黒髪が…ウィッグである事を知り!、
更にホントの中身は金髪に染めてる事を知り!、

いやあ……中野先生はなんて面白い人なんだ!!!

ますますファンになりました(わははははははははははははは。

なんでも、ホントに聖飢魔Uのファンらしいです。
でもって、
金髪は心の叫びなのかも(わはははははははは。
(いや別に金髪が聖飢魔Uとダイレクトには結びつかないけど、
カタいお仕事だから、通常を金髪にすると、
何かと世間的にメンドくさい事もあるかもしれないので、
こういう方法論になったのか…と勝手に推測しただけです、ええwww)


来年もこの番組を楽しみにしてます。

という事で…次回はコレ!!。

“ニッポン”のあけぼの 古代人のこころと文明に迫る
1月3日(火)午後9時〜午後11時


番宣にはこうある↓

弥生人=稲作民という常識を覆す先進集落の実像とは?
ミステリアスな銅鐸から見えてくる弥生人のこころとは?
邪馬台国の女王・卑弥呼の出身地はどこ?
番組司会・磯田道史さんが、大興奮してしまった前方後円墳とは?
さらに、悪役のイメージが強い蘇我氏が、日本の成り立ちに与えた影響も探ります。

弥生から飛鳥までを一挙に駆け抜けるというチャレンジ!
そうすることで、この国の原型が見えてきます。
最新の発掘調査や研究成果は、
皆さんが思い描く古代の姿を大きく変えるかもしれませんよ。



前の坂上田村麻呂の回も面白かったです。
古代史も相変わらず熱いな!。


そして、
1月12日 午後8時〜9時は、
戦国の女(1)“おんな城主”の賭け〜次郎法師の生き残り戦略〜

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公、
井伊次郎法師とはどんな人物だったのか?
井伊家存亡の危機に主家・今川が命じた無理難題。
城主となった彼女はどう立ち向かう?


そう…まだまだまだ知られていない事の方が多い直虎。
当時結構居たらしい「女城主」の一人として、
戦国をどう生きたんでしょうね…考えてみたいですね…。

そして勿論、
中野先生の登場、楽しみだな〜♪。
来年もこの番組に沢山出てくださいね!先生!!。
posted by 夏草 at 18:05| Comment(0) | 大河ドラマ☆おんな城主 直虎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月25日

お城でメリクリ♪

いやあ〜行って来ました!!。

お城EXPO 2016!!。
http://www.shiroexpo.jp

もうね、
横浜みなとみらいがクリスマス一色の中!、
お城好きのための祭典やってると聞いちゃ、
黙っている訳にはいきませんwww。

まずね「入城券」でもって中入ります♪。
すると…「日本100名城」の展示やら、
色んな歴史関係のゆるキャラさんがお出迎えwww。

おおー!!!彦根に行った時でも、
大人気過ぎてなかなか近づけ無かったひこにゃんが、
こ、こんなに近くに!!www。

cexpo02.jpg


そしてそして!!、
同じ「井伊」って言えば!!、
来年は…この人ですね!!。

cexpo03.jpg


更に!、
このイベントの為に集められた忍者さん達も居ます!!。
わはははははは、自分、忍者大好きwww

cexpo01.jpg


あとは…現存12天守の模型の展示も壮観!!。
そしてそして…物販www。
もうここが凄いですwww。

イベントの時って、
「その筋のものがいっぺんに集まって」来るので、
一カ所で沢山自分の目指すものが買える事がありますよね!。
今回も…、
戎光祥出版や吉川弘文館(なんと二割引)やら、
武揚堂(ぶよお堂)などの出店があったり、
他にも歴史やお城関係の本が結構集まっていました。
(今回はやっぱり真田関係の本やグッズが多かったね)

個人的に「これは!」と思ってゲットしたのは、
吉川弘文館の「戦国武将 合戦事典」(8000円が2500円になってた!)、
武揚堂の「地図で知る戦国(上下巻)」でした。

あとは…藤堂高虎の本とか神社の本とか古地図とか…、
買い漁ってしまいました…たははっっっ。

他の販売物はね、
ひこにゃんのピンバッジとか、
政宗様(をイメージした)腕時計とかw、
毛利家の家紋入りの今治ハンカチとか、
彦根の美味しい和菓子「埋もれ木」とか(好きなんですよ、コレw)、
お城の名前の入った全国の日本酒とか!…、
もう盛り沢山です。
あ、戦国武将のガチャポンもあったよ♪。

そして…目玉の一つは講演会だと思うんですが、
今日はね、
千田嘉博先生やお城大好き落語家:春風亭昇太さん、
城郭ライターの萩原さちこさん、
黒田基樹先生、小和田哲男先生、
小田原城天守館長:諏訪間順さん、作家:伊藤潤さん等々…、
豪華な登壇者だった上、
内容も、山城の話から北条氏の小田原での攻防、
そしてそれを攻める太閤秀吉の話等々…、
いやあ〜〜とっっっても楽しかったです。

千田先生は今、小牧山城の発掘をしていらっしゃるのですが、
模擬天守の下に信長時代の石垣が見られるという事や、
小牧山市の市役所は小牧山城の大手道の上に建ててしまったとか、
実は天守の初期のものがこの城にはあったのでは…とか、
興味深かった。

実は今夏、自分も小牧山城に行ったんですけども…、
そういえば市役所が山の麓にあったなwww。
市役所の廊下に「黒い線」があるとの事で、
「これがこっそり示された小牧山城の大手道」なそうで。
そうかあ〜市役所の中も見てくれば良かったよwww。

あとは、
秀吉の小田原攻めの時には、政宗公の話も出たよ。
そう、今年の『真田丸』でも少し触れられていたけど、
あの時は北条・徳川・伊達の三国同盟的なものがあって、
それも北条氏の自信の一つになっていた可能性は高いと。

でも徳川が秀吉に懐柔されて北条を離れ、
そしてそれを見極めた伊達もまた秀吉の家臣になった。
北条氏の滅亡の理由は、とてもこれだけでは無いのですが、
この状況も主要因の一つにはなると思える所ですね。

そして、今回は「お城」がテーマのイベントという事もあり、
北条氏の国人衆のお城が小田原城とどういう関係にあったのかとか、
秀吉の情報量が北条に勝っていたのでは、という話とか、
これも凄く面白かった。

余談ですが、
ホントに秀吉という人は…昭和の宰相:田中角栄みたいに、
「CPUを搭載したブルドーザー」だったんだな…と感じました。
やっぱ凄いね…。


それにしても。
世間に目を向ければ…今日はクリスマス。
しかし…このお城EXPO、
世間のそうしたキラキラしいイベントには真っ向背を向け(え?、
頑張って??ますwww。
なにしろ…同じ横浜みなとみらいでは、
昨日今日と(年末まで)福山雅治さんのライブがあり、
それもこの「お城EXPO」の別棟で!なんですよね(わははははははは。
いやあ〜カオスだ(わははははははははは。

でも!いつの世も!、
マニアというかオタクというかは!、
「我道を楽しむ!」のが極意なのだ!!(わははははははは。


……そういや…ここ(みなとみらい)もまた!現代の城っぽいですな!!。

cexpo05.jpg

タグ:お城EXPO
posted by 夏草 at 01:05| Comment(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

毛利勝永、ここにあり! 2 〜毛利勝永って…実は通称?〜

だいぶ間が開きましたが、毛利勝永の第二回でございます。


実は第一回を書いた後、
毛利勝永について書かれた本(小説ではなく歴史評伝)が、
今春出ていた事を知りまして。

それは。

「真田より活躍した男 毛利勝永」 
今福匡著  宮帯出版社

装丁もね、表紙を返すと…毛利勝永の旗印になってる!。
ホントに毛利勝永一人に焦点を当てた評伝って、
自分が寡聞にして知らないだけかもしれませんが、
全然無いんですよね。


で、
今回のソースはこの書籍と、
例によって、
当グログが「腐」なのでリンク貼るとかご迷惑なのでできない、
某超有名歴史サイト様とか、
雑誌『時空旅人/大坂冬の陣夏の陣400年』、
他、小和田哲男先生の本とか…色々と。



今回は少しもどって、
大坂の陣に参陣する前までの毛利勝永をめぐるお話です。


まず、
そもそも…この「毛利勝永」という名前なんですが。
なんと…「勝永」という諱は一次史料では確認できてないらしい。
発給文書その他でも署名は「吉政」で、
家臣からは「吉永」と記されている場合もあると。

そして、
政治的な局面には結構早くから登場し、
公的には「毛利豊前守」という風には称しているらしい。
それでも…幼名なども分からないそうで。

では姓の「毛利」の方なんですが…、
これは以前うちのブログでもやりましたが、
<「森」から出た「毛利」>説がここでも出現。

(詳しくは…こちらを
 ⇒『なに!!お主も、か!w』
 http://ikiikien.seesaa.net/article/174492067.html


毛利勝永の父は森吉成といい、
尾張か美濃か近江か…その辺りの出自では無いか?と、
(でも断定はできないと)今福さんは書いている。

で、
この「森壱岐守吉成(一説には勝信)」なんですけども…、
なんとなんと…、
森三左衛門可成の嫡男:吉光が、この森吉成の父である!、
という説があるらしいんですよ!。
(今福さんの本によると
『吉成&勝永の子孫という高知県の森家家伝」より)

え?…でもこの記述で行くと…、
「森吉光」って「森可隆」と同一人って事になるよね???。
という事は…毛利勝永父は、森長可、成利(森蘭丸)、忠政らの長兄って事に!。
という事は…毛利勝永は、森長可、成利(森蘭丸)、忠政らの甥って事に!。
うーーんんこれがホントなら凄い話だがw、
本当の所は…現在やっぱり全く確証は無いらしい。

というか、この話の異説としては、

「森三右エ門は信長公の家臣で、後に毛利壱岐守と名乗る。
秀吉公の代に豊前小倉城主に成り。
根本美濃土岐の末の由。壱岐守惣領豊前守…」
(同じく今福さんの本中『稲葉氏由緒問答禄』より)とあると。

この<「惣領=長男」が豊前守>の所はまさに、
毛利勝永の事だと考えられますね。
しかし…「森三右エ門が森三左衛門可成」なのか?。
(確かに可成はノブ様の家臣ですけどね)

いやいや…これもね、
なかなか判別するのが難しい話なんです。
というのも、
織田には確かに「森三右エ門」という家臣が居たらしい。
居たらしいが…これは「森三左衛門可成」とは別人じゃないかと、
今福さんは書いている。
そしてこの『稲葉氏由緒問答禄』も、
江戸中期に臼杵藩の稲葉氏から出たもので、
そういう事から考えると…色々錯綜した内容かも、と。

ホントにね、
昔の事というかなんというかは…、
名前が似てる人を同一人と混同したり、
逆に文字を間違えて(置き換えて)いて…同一人を別人としてしまったり、
或は時代が下った頃に書かれた文書故に事実と違った記述だったり、
しかし逆に本当の事だったり…、
いろいろこの辺を探って行くのは大変で、
傍証が無いとなかなかハッキリ断定できないよね。
(でもそれだから調べるのが面白いんだけどw)


で、
勝長の父:森吉成は秀吉の黄母衣衆だったそうで、
その後もずっと秀吉に仕えており、
九州攻め参陣の後、豊前に所領を与えられて入るにあたり、
秀吉に「森から毛利へ」と改姓を促された…とも。
西国では「森」より「毛利」の方が通りが良いだろう、という理由とか。

しかし一方で、『陰徳記』では、
森吉成が「元々私の姓は森と書いたが、
吉川広家殿を通じて毛利輝元様にお願いし、毛利の字に改めた」
と言ったと記されているそうな。
これも全然確定できない、所謂逸話という感じらしいのですが、
とうの「毛利家周辺」ではこんな言い伝えになっているらしい。

という事で。

「毛利勝永」という名は(「真田幸村」同様に)、
通称というか、一般的に世に有名な名前という事に。
(真田も毛利も姓は本当の姓ですが)


もう一つ、ビックリする話としては、
毛利勝永と大野治長が従兄弟同士であるとする説がある事。
なんでも、
『南路志/なんろし』(土佐の歴史や地理、民族などを多岐に渡って取材編集した資料)に、
「勝永の家老の宮田甚之丞、その兄弟の宮田平七、
そして大野治長は勝永の従兄弟である」と書かれていると。
つまりこれ、父:吉成の妻が大野氏か宮田氏の出ではないか?と。
まあでも…これも「確かめられない話」なんですが…。

(因に、毛利勝永が何故土佐に関係あるかというと、
この記事の第一回にも書いたように、
勝永は(父:吉成とともに)関ヶ原の後、
山内一豊に預かりになっていたので。
元々山内家とは知己同士だったらしいし)


で、一方、
大坂の陣の前まで、毛利勝永はどういう人生だったかというと…。

吉成と勝永は上述のように秀吉麾下にあった事から、
勝永も豊臣政権の面々とは早い段階から顔見知りであったと、
今福さんは推測している。


で、ですね。
更に彼の家族について言及しますれば…。

前回、
「大坂入りする決意を妻に語った勝永の逸話」を紹介した、その「妻」、
<正室:安姫>は、この時には既に他界しているので(1610年没)、
前述の話は彼女では無い女性に向けての発言なのか、
後世に作られた「そういう逸話」なのか…という所らしい。

安姫は龍造寺家の娘という事で、
毛利勝永との婚姻も、地元勢力の懐柔と繋がりの強化、
(秀吉の九州攻めにも勝永は参加している)
という側面があったと思われると。

で、九州攻めの後で小倉に入城、その後の唐入りにも従軍。
関ヶ原では鍋島家等とともに西軍となり、
伏見城の戦いにも参陣の後、大一番にて…西軍の結果は御存知の通り。
で…毛利吉成・勝永は改易となって山内家に預かりとなる…と。

ざっと見て来ましたが(ホントにザッとだ^^;)、
色々と彼の発給した文書は残ってはいるみたいなのだけど、
やはりそう多くは無く、よって断片的にしか人生も分からないため、
なかなかに謎のままの人なのですね。

そして次回はやっと!、
毛利勝永の大坂の陣での活躍について、でございます。


☆関連事項☆

『毛利勝永、ここにあり! 1 〜いざ!大坂城へ〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/437705438.html

『毛利勝永、ここにあり! 3 〜龍造寺&鍋島と〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445362485.html

『毛利勝永、ここにあり! 4 〜大一番!大坂の陣〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445713893.html
posted by 夏草 at 01:38| Comment(0) | 大河ドラマ☆真田丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月15日

12月4日に本拠地小政サイトにて拍手下さった方

>14時台に拍手下さった方

訪問ありがとうございます☆。
御礼遅くなってごめんなさい。

小政サイト、ただ今休業中でございますが、
(まんが二次創作は現在、『タイバニ』やってるため…トホホ…すびばせん)
ブログの方はヨロヨロしながらも、歴史散歩続けております。

拍手をどうもありがとうございました。
posted by 夏草 at 19:13| Comment(0) | 拍手御礼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする