2014年12月16日

20年越しの夢、叶いました

実は。
20年ほど前から…実際お会いしてみたいな…と思っていた人が。
いえいえ…「人」じゃなくて正確には「仏像」、
もっとちゃんと言うと…「仏」ではなくて「高僧像」ですね。
この度、やっとお目にかかれまして。

宝誌和尚

ああ〜!と思われた方もいらっしゃるかと。
そうです、この方…↓。

baozhi.jpg


これは『表徴の帝国 (ロラン・バルト著)』という本の表紙。
文章自体は、1970年代には既に書かれたものだったらしいのですが、
このような文庫本になったのが…90年代。
(当時も確か、この表紙は話題になった)
なので、
自分と宝誌和尚との出会いもおよそ20年前という事に…。


本屋さんで初めて見た時…釘付けになりまして。
顔の真ん中からもう一つ別の顔が見えてる…というのだから、
本来なら不気味な題材と思うハズなんだけど、
その時は(というか今でも)嫌じゃなかったんですよね。
寧ろ凄く惹かれて…なんというお像なのかなって。
この方にはどんな数奇な物語があるのかなって。

当時はまだ仏像好きになってなかったのに、
仏像が特に好きでも無かったのに…目が離せなくて。
で、本も買って読む事にwww。


本の内容はというと、
「記号論」で有名なバルトなので、
そっち方面の本という事になるのでしょうが、
個人的な感想としては、
「西欧とは異なる世界である「日本」のさまざまを突破口に、
西欧的ものの見方と違う感性&感覚、表現などについて書く」感じが、
…「40年前のクールジャパン論」みたいな感じもしますw。
(そういう訳で、
日本的な価値観を全面的に礼賛している訳でもなく、
日本について語っているだけでも決してありませんが、
その「おもしろがり具合」が…ねwww)

表紙だけでなく、
「包み」という項目の中にもこの宝誌和尚の写真があって、
…こんな文が付されています。

表徴とは裂け目である
そのあいだから覗いているものは、
ほかならぬ もう一つの顔である

バルトは、
「日本の包みは運ばれる品物の一時的飾りではなくて、
もはや包みそれ自体が一つの品物なのである」と書いている。
これは…平成の現代にはかなり廃れた、
「過剰包装」とまで言われる事もある、
「昭和の包装」、「日本伝統の包装」の事ですね。

更に、

「果物の砂糖漬け、いんげん豆の砂糖まぶしの少々、俗悪な<土産物>、
こういうものが宝石の場合と同じ豪勢な包装のされかたをする」
「つまりは相手に贈る肝腎なものは、包み箱そのものなのであって、
包み箱の内容ではない、といった感じである」
「遮光カバーとしての包み、仮面としての包み箱は、
それが隠し保護しているものと、等価である」

哲学者の言ってる事だから?、
この後もだんだん難しくなって行くのですがw、
「包み」の項の締めくくりを…要約挑戦すれば、

日本人は包装に時間と集中力を使っていて、
それ故に「包み」が「中身」より意味のあるもの、
別なものを表すものになっていき、
それ故に中身は存在を喪失し、空無化される…。


はははははは、
これでいいのかどうか自信ありませんがw、
自分的にはそう読みました。

で、
バルトは宝誌和尚についても、
外側は内側の単純なアシストでは無く、
裂け目からはまた別の表徴が見えている…と。


ホントにね、このね、
「顔からもう一つの顔が見えている」って…凄く意味深で、
現代的な感覚で見ても面白く、
インスパイアされるものが大きいと感じる。
(だからバルトも刺激を受けた訳で)
表徴というか…、
いろいろな意味で象徴的、暗示的な像ですね。


さて。

そんなハイパーな存在の宝誌和尚なんですが、
元々のこの人は一応実在?というか、
ちゃんと伝説を持っているお坊さんらしいのです。


中国、宗、梁時代(だいたい5、6世紀)、
何日間も飲まず食わずでも平気、
髪はぼうぼう、或は帽子を常に冠っていたともいわれ、
学識高く、神の如き技を使い、
予言をなし、裸足で歩き回った…風狂の僧だったと。

彼を尊敬する武帝が師の肖像を描かせようと絵師を遣わしたが、
「暫し待て。我が真影を見て描画せよ」と彼は言い、
自分の顔を縦に裂いて見せた。
そこには…金色の観音菩薩が見え、時に揺らぎ、時に輝き、
絵師たちはなかなか描ききる事ができなかった…と。


「自分の顔を裂いて」…!。
なんというショッキングな逸話の持ち主。
しかも中身は観音様!。
なんというワンダーお坊様w。


そんな和尚をお像にしたのが…、
やっと今、お目にかかった仏像の宝誌和尚なのです。

(元々ね、
表紙の折り返しにも「京都博物館寄託」とあったんですけども、
(元は京都の西往寺のお像なんだそうで。)
今秋、
京都博物館がリニューアルしたというニュースを見ていたら、
新築の常設館「平成知新館」の常設展の方に、
「宝誌和尚像」展示!…とあり、
「なんじゃと!!!こりゃ行かなくては!」となりましたwww。)



全体はお地蔵様のようなお姿ですが、
観音様が手にしているとされる水瓶を左手に、
内側のお顔は十二面観音像(十一面とも)と言われているらしい。
作は平安時代、彫り跡も明らかな鉈彫りのお像で。

これが通常の仏像のように表面滑らかな出来だったら、
完成度は高かったかもしれませんが、
もっと冷たい感じで、敢えて言うと平凡だったかもしれません。
しかし、
この彫り跡が却って和尚像にある種の風格を与えている…と感じます。

衣服では布が流れる方向、
見る者の目線が流れる方向、
そしてまた同時に、彫るのに自然な方向に、
割合大きく跡が残されていて。

掌にある跡は、
筋肉を表現している…とまで写実的ではありませんが、
跡がある事で「人が彫った」という暖かさと、
「古人が心を込めて一彫り一彫りしたんだな」という事で、
和尚への慕わしさが増すように思います。

そして一番気になったのはやはり、お顔にある彫り跡。
他の部位の彫り跡よりは繊細で、
しかも鼻の周囲には殆ど見られないのに、
頬や顎の部分には細かく入れられています。
つまりは、わざと残した跡、という事でしょう。

日本では作例の稀な、
特異というか怪異とも受け取れるお像ですが、
そんな鋭く恐ろし気なお顔に、彫り跡が豊かな実在感を加えている。

そして表情そのものも、
中国の宝誌和尚の伝説が持つ生々しさや恐ろしさより、
ここでは既に日本的と言っていいと思うのですが、
静謐な、深閑とした感じで…彫り跡と相まって美しい。

彫像としても、
顔の中に顔…という難しい表現ですが、
ちゃんと調和が保たれていながら、
十分すぎる神秘性も発信しているという、
まさにある種、奇蹟のお像だと思います。


和尚が、
「自分の顔を自ら割って」という逸話を知らなかった頃は、
「和尚のお顔が割れて、中から新しい和尚が生まれる」、
「違う和尚が萌え出ずる」
或は「本質が見える…」と想像していた自分です。
そんな和尚にこの度近しく対面できて…本当に感無量でした。


見る人を此所とは違う世界へ誘う宝誌和尚。

これからも、彼は人々にいろいろな世界を見せるのでしょう。
posted by 夏草 at 00:27| Comment(0) | 仏像よもやま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月29日

一瞬で…落ちる時は落ちるw

昨日までの軍神の話で…なんか仏像好き魂が盛り上がってますw。

折しも!!。

東京上野の国立博物館:平成館にて、
ただいま!大きな展覧会が開催されてます!!!。

『空海と密教美術展』7月20日(水)〜9月25日(日)

午前9時30分 – 午後5時
※入館は閉館の30分前まで
(金曜日は午後8時まで、土・日・祝日は午後6時まで開館)
※開館時間については、変更の可能性もあり

http://kukai2011.jp/


これはっっ!空海さんが開いた、
京都:東寺(教王護国寺)の仏像を中心とした展覧会という事で。

おおーーーーーーーー!!!!!。
東寺といえば…仏像好きの聖地ですよね(わはははははは。
ホントに東寺の仏像は凄いです。
何時行ってもドキドキv。

この展覧会にちなんだTV番組もあるらしい。
『空海 至宝と人生』 http://www.nhk.or.jp/bs/kuukai/

そして…東寺のHP。
なんか凄いアーティスティックですv。
http://www.toji.or.jp/



こと仏像に関しては、レイティングが凄い鑑賞の目安になると、
個人的には思うんです。

つまり…「国宝」「重要文化財」とされる仏像は、
ぶっちゃけ「ハズレが無い(失礼)」つか!、
寧ろ「これは見るべし!!!」な傑作揃いかと。
(その他の仏像は…見る人の好みとか着眼点で味わいが違うので、
個々人の楽しみという事になりましょうか。)


そういう意味でも、
とにかく東寺の仏像の皆さんは、殆どが国宝。
全部で21体という事なのですが、
一カ所でこれだけの国宝率は凄いです。
ここに行くだけで、相当素晴らしい仏像が見られると。

そのうち8体が、東京へおでましになってるそうで!!。
京都に行かないで見られるとは!!。
しかも、
美男な帝釈天様とエキゾチックで美しい梵天様が来てらっしゃる!!。
くはっっっ行かなくてはっっ!!www。


実は。
自分が仏像に開眼したのも…東寺の帝釈天様がきっかけで。

歴史ファンなので、神社仏閣を訪ねるのは好きだったんですが、
長年どうも…仏像は…苦手だった。

だって…宗教には関心が無い訳じゃないけど、
それは自身が入信するという事ではなくて、
歴史的に興味があるだけで…まず、宗教自体がちょとコワかった。
で、
仏像は暗い所にいらっさる場合が多くて…更にコワいしw、
しかも東寺の仏像の皆さんは密教系だから…、
更に更になんだかもう造形自体もコワいしw。
(だって眼が三つあったり、手が六本あったり、
蛇が巻き付いてたり、牙剥いてたりするんだよ!!!www)、


これって…空海さんが曼荼羅を立体的に表現したかったから、
こうなったんだと、今でこそ少し分るようになったけど、
(曼荼羅中央の御本尊:如来グループから見て、
右側が、デコラティブで清浄で美しい菩薩様のグループ、
そして左側が…明王様のコワモテ暗黒系仏像グループ)

こんなビジュアル的にゴージャズ極まり無いというかw、
悪夢の如く凄まじいというのか(失礼)w、
もうフルオーケストラのような編成の仏像群に、
ただもう訳も分らず、
東寺へ行く度に圧倒されていた訳ですが。

それが…何度目かのある日、
見学の順で言うと、一番最後に見る事になる「帝釈天」様の前で、
あっっっ!と…足が止まりまして。

それが…美しかったんですよ。
なんて言っていいのか…もうなんだか美しいw。

それまで、
胸の前で印を結ぶ華麗な菩薩様グループ、
如何にも悟りの如来様グループ、
そして、とぐろを巻くような圧巻の明王様グループを見て、
その最後に…帝釈天様の所へ辿り付いた…。

ああーなんて…美しい帝釈天様だろう!!。

なんかこの時、今迄何回も見たハズの帝釈天様なのに、
そのお姿に初めて打たれたのと同時、
今迄見て来た他の仏像の味わいも、
一気に自分なりに分ったような気がしました。

開眼!って…こういう事かな!とw。


(この展覧会に連動してw、
今回いらっしゃってる仏像の人気投票やってるみたいなんだけど、
おおー!!帝釈天様が現在、ダントツで一位ですv。
仏像好きもやはり…イケメンには弱いんだなw。)



で。
最後に見る感じの「帝釈天」様と同じように、
講堂に入りしな、真っ先にお目にかかる「梵天」様、
こちらも…ホント〜〜〜に素敵な方だと気付き、
それ以来、東寺の立派な仏像、他の皆さんもみんな大好きですが、
やはり最初と最後の方達が…凄い好きv。


そうそう、
このブログ的に言うと、
「梵天」様って…我が「梵天丸様」の語源を具現化した像ですから、
(詳しくはこちらを↓
『大きくて凄いものから…小さく可愛くなった?!』
http://ikiikien.seesaa.net/article/129588312.html

そゆ意味でも、楽しいかもしれません。


そしてそして…昔、
不動明王様を見た梵天丸様は言ってたよね…。
「(顔はいかめしいが、慈悲の心を持っているのが不動明王なら)、
 梵天丸もかくありたい」ってw。

東寺の明王系ブループは…そんな意味でも凄みがハンパ無い。
今ではすっかり大好きで(ぇ、
五大明王の中では「大威徳明王騎牛像」がお気に入りっすv。
(だって凄い迫力なんですよ!!乗ってる牛さんさえ鬼気迫るものがっww)
あ!四天王像も凄いカコイイですねっv。
(例の兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)は、いらしてないようですが)

自分、結局、この系統も嫌いでは無いのはやはり…、
人外好きの血が騒ぐのかもしれませんwww。


posted by 夏草 at 09:19| Comment(0) | 仏像よもやま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月27日

運命の…憂い顔2

以前買っておいた「阿修羅像」のDVD(NHKのだったかな)を、
このお正月に見ました。

2009年、
奈良興福寺から国立博物館に阿修羅さんがいらした時、
(実際展覧会も見に行きましたが…もう大盛況で)、
背中も見られるという事で(興福寺の国宝館では背中は見られない)、
このDVDには、360度から撮影された映像とかも入っていて、
なかなか興味深かったんですが。

やはり焦点は…あの美しいお顔。
三つのお顔をちゃんと見て、これはどういう表情なのか?と、
いろいろ考察してるコーナーがありまして。

御存知のように、
あの阿修羅さんはまだ少年のように初々しいですよね。
それなのに憂い顔。
あれは反抗か苦悩か…それとも…等々といった話の流れで。

そして、
実際の阿修羅さんと同じ技法で再現してみる、というコーナーも。

これは「脱活乾漆像」というもので、
最初に木組みをして、そこへ粘度で形を作って行き、
その表面を麻布を少しづつ貼り合わせ、その上に漆を塗って行く。
で、外側が硬く乾いたら…中の粘度(塑土)を取り出して空洞にする。
粘土を出すために開けた穴(主に背面になど)を蓋してから、
更に、表面にはオガクズのように細かい木の粉を混ぜた漆を塗って行く。
そして…
最終的にお顔や装束などを美しく仕上げ…彩色へ…という流れで。

この時、混ぜる木はニレがいいと再現した大学の先生が言ってた。
ニレは粘り気が凄い出て、塑像しやすいと。

この二つを見ていて思ったんですが、
当時これを作った仏師達、
(将軍万福という人物を中心にした、仏師集団だったらしいのですが)、
特に、
阿修羅さんを担当した仏師は(一人なのか二人なのか…どうなのかは不明ですが)、
本当ーーーーーーーーーーに細心の注意と飽くなき情熱を注ぎ込んで、
あのお顔を丹念に作りあげていったらしい!!!という事です。

というのも、
あのひそみ眉一つとっても、その上がる具合から眉のサイズから、
もう細かく細かく作れるようで、
ああいうバランスやら美しさやらは…そうそう簡単に出来るものじゃないと、
個人的には思う。
うーん…でも…名人なら「あっという間に」作っちゃうかな。
いやいや…あのひそみ眉と目鼻のバランスとかは…、
仏師がどんなに名人だったとしても、
本当に誠心誠意頑張った成果なんじゃないかな…。


それから。
あの表情は…、
もしかしたら「何かもっと違う表情の一瞬前の顔」という指摘があって、
なんだかとても感動しました。

あのひそみ眉が離れて…もっと柔和なお顔になる所だったのか、
それとも…、
もっと眉は深い憂いをたたえるように、ひそみが深くなっていったのか。

謎です。

とても心惹かれる謎。


仏像って「見る人の気持ちを反映する」と良く言われますよね。
心理学的に言うとさしずめ…「自己を他者(この場合仏像)に投影する」、
という事でしょうか。

なので、
自分が哀しい時には見ている仏様も哀しそうに見えたり、
自分が何か落ち度があると思っていると、
仏様が自分を怒ってる感じに見えるとか…。

いやあ…だけどね。
阿修羅さんは…どうなんだろうか。
あの美しい憂い眉は…メランコリックな切ないお顔は…、
いえいえ、へたれな絵師一人だけの気持ち、投影では無い筈だ…。
日本人の心の奥に広く訴えかけてるんじゃないかなあ。


因に、
興福寺はもう何回も火事にあってるそうですが、
あの天平の仏像達は殆ど無事なんですよね。
平家に焼かれた時(南都焼打ち)なんかでも、
きっと人々が一生懸命仏像を運び出して守ったんだと妄想してるんですが、
(こういう時、脱活乾漆像は軽くて運び易くて良かった!)、
それもこれも…ひとえに阿修羅さん達がとても美しく、慕わしいお姿だったから、
永年愛され守られて来たんだろうなあ…と…ちょとじーんとしています。
posted by 夏草 at 16:52| Comment(0) | 仏像よもやま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする