2015年04月11日

温泉!って…まさか太閤殿下とは…

突然ですが温泉です。

日本は火山国故に、全国至る所に温泉が湧き出ている訳で、
全国至る所に「武将ゆかりの温泉」がある訳です。
そう!「信玄の隠し湯」とか!ああいうヤツですね☆。

で、
実際当時は怪我だったり病気だったりを治すのに、強い薬も無いので…、
温泉(湯治)は一層効果があると思われていたのでは…と想像しまする。

そしてそして。
まず何と言っても…「温泉は快い」ですからね!、
日本人みんな大好きだったのでは…wwwww。


そんな日本人と温泉、武将と温泉といえば、
当ブログに相応しいテーマといえば!、

「伊達政宗公、底倉に留め置かれる」ですよね!!。

そう!時はアノ!…秀吉の北条攻め。

北条氏の小田原城を攻め落とすため、秀吉はものすごい兵力で来襲。
最初、小田原からすぐの箱根:早雲寺を本陣としたと。

で、後には、
例の一夜城(=石垣山城)を築いて、早雲寺の一帯を焼き払った…というから、
やっぱりそこまで北条氏が嫌いだったのか…。
(早雲寺って名前から分かる通り、そもそもが北条早雲の寺らしいですからね。
因にその後に再建され、今も箱根にあります)


で、ですよ。
政宗公は御存知の通り、秀吉方からの矢の催促にも関わらず、
とっても遅れて参陣するのですよね。
結果から言うと首は繋がったのですが…、
行った当初は「底倉」という所で謹慎を命じられた、と。
(↑『伊達成実日記』に「そこくらと申す山中に御宿申し付けられ候…」
という一文があるらしい。
そんですんません、これ「伊達成実日記」なのか「成実記」なのか
まだ確かめられていません)


この「底倉」…一体箱根のどの辺なのかって常々思ってて。
箱根行くといつも道路際に「上底倉」ってバス停は発見してたんですが、
イマイチ「底倉」が何処か分からない。
それが…今回やっと特定?できまして。

見てください、こんな案内図ありまして。

skokura01.jpg


箱根には、
<箱根湯元温泉>やら<強羅温泉>やら…沢山の温泉があるんですが、
その中でおそらく一番有名な<宮ノ下温泉>、←あの富士屋ホテルがある温泉です☆
その付近にこのような<宮ノ下ノスタルジック散策路>?というものがあり…、
赤で囲ってみたんですけど、
「そこくらの湯 つたや」って書いてありますよね!!。
(「つたや」さんって旅館の名前です↓
http://www.sokokuranoyu-tsutaya.jp

この辺りは渓谷なんですよ。
まあ「山中に御宿申し付けられ」って事ですし、
先に書いたように、これは半ば謹慎だったという解釈もあるので、
渓谷=ちょっと暗い湿った感じなのかと思ったんですが。

が!!!。
この地図、つたやさんの上のもう一つの赤枠、見て!皆さん!!。

「太閤石風呂」ですよっっっ。


それが…これです!!!↓。

sokokura02.jpg



ちょっと引いて見ると、
滝(太閤滝←下の滝か上の滝)というものなんかあるよ!!。

sokokura03.jpg



ここに至るには…こんな道があるよ↓。
(ちなみにここを石風呂に向かって行くと、つたやさんがある)

sokokura04.jpg


今はどうもお湯は湧いて無いみたい。
そうそう、さっきの旅館「つたや」さんのHPにも、
太閤石風呂の事が書いてあります。
なんでも…秀吉自身も入ったし、信頼のおける家臣にも使わせたそうな。

ここで思い出すのは…漫画『花の慶次』でね!、
政宗様と秀吉と慶次と(あと一杯)…皆で温泉入ってる図あったよね!。
原哲夫先生の絵だからもう、秀吉まですんごい筋骨隆々w、
そんな漢がもうひしめきあって石風呂に浸かっているという、
いやが上にも熱い絵!が眼に焼き付いて離れないっす(きゃああはははははは。

あ、すません、また話が回っちゃった。

あのですね…この位置関係見るとね、
その「底倉」って場所は太閤石風呂の近所というか、
殆ど目と鼻の先ですよね。

という事は。
…例の政宗公の投宿は、太閤のこんな側に置かれた訳なので、
実は「謹慎」でも無かったのかな?と思ったり、
いやいや、太閤の眼が光っている所に留め置かれたのだから、
やっぱり「謹慎」か「お仕置き」か
「動きを見ているか」だよね???と思ったり。

うう〜〜〜ん!どうだったんでしょう、本当は。

ていうか…まさか…政宗様!、
太閤殿下と一緒に…まさか…漫画みたいに…まさか……。
きゃああああああああ〜〜〜〜〜〜☆。
(↑いや小十郎と……と妄想した方が萌えが…)
↑止めなはれ!!!www
posted by 夏草 at 00:25| Comment(0) | 歴史の周辺/伊達家関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月12日

それも浅からぬ縁3

いやあ…これは凄いです。
と言っても去年の話なんですけども。

去年の夏、仙台のタウン情報誌「りらく」(2013年8月号)にね、

『片倉家当代御当主さんと仙台真田家当代御当主さんの対談』が!!!、

掲載されていたんですよ…。
(「りらく」創刊15周年スペシャル記事でした)
御存知の方はとっくに御存知かとは思うんですが、
コレを凄いと言わずして…なんと言う!!ですよねwww。

自分は実は最近知って、先日取り寄せて読んでみました。


雑誌に掲載されているくらいなので、
お名前を出しても差し支えないと思うので書きますが、
(とゆか…片倉さんは仙台:青葉神社の宮司さんだし)、
片倉家の第16代御当主:片倉重信さん74才、
そして、
仙台真田家第14代御当主:真田徹さん66才。

いやあ…お二人ともすごく素敵な笑顔の写真が出ています。
ホントに何の関係も無い、
一介の歴史ファンの私でも…じんとする絵です。

対談の中身はというと…やはり、
アノような御先祖の歴史を背負った子孫の方々なので、
色々と興味深いお話でした。


まずね、
お二人とも…先祖がちょっと重荷というか、
(特にきっとお若い時に…)
「家系の話は好きでは無かった」そうなんです。
だけど、戦国武将がブームになるにつれ、
「自分からちゃんとした事を発信しよう」と思われるようになったと。

更に興味深いお話は、
真田さんが「片倉家の真田子孫匿いの顛末」について、
こんな風に語っていらっしゃる。

「幸村(信繁)と小十郎(重長)の間には密約があったと思う。
昨日今日戦った相手に自分の子を託す…などという事が考えにくい上、
片倉家のルーツは信州諏訪大社の神官、
真田家のルーツである海野一族も山伏の元締めの家柄、
伊達家の本拠地の米沢近辺の出羽三山も修験道のメッカである事から、
神社・山岳信仰(山伏)のネットワーク的なものからの、
「あ・うんの呼吸」的な依頼だったのではないか?
(そして当時、小十郎の主である政宗が唯一家康に比肩する武将だったから)」と。

おおーーーーーー。
やはり…「信州の神官」ですか。
そうですよね…信州って実は歴史がかなり古いんですよね。
(諏訪とか塩田平とか)
しかも神道とか仏教とか…なかなか宗教関係の土地柄だし、
この辺りの両家のつながり…ありそうですよね。
自分もちゃんとこの辺を遡って調べてみたいです!!!。


真田さんが「自分の今があるのは、片倉家のおかげ」と言ってらしたり、
片倉さんが「真田家の子たちを育てたのは小十郎の妻です。
彼女は元々会津蘆名家の娘で子供たちの立場が自分とよく似ていると感じていたはず。
だから阿梅さんを気づかって「後妻に」と遺言して亡くなった」と言ってらしたり…。

う〜んんんん、
自分のような者でも胸熱になります。

あとね、
お二人とも「自分の先祖が人を沢山殺めたので、自分達はその償いをしている」的な、
発言がありまして。
「決して戦争や人殺しを美化してはいけない」ともおっしゃってました。
これはやっぱりそれこそ、
あのような御家に生まれた子孫だからこそ、のお言葉ですね。
現在ってもうあの頃から400年経ってる訳ですが…、
そういう意味では生々しく過去と対峙していらっしゃるんだと感じました。


因に、
自分個人は…戦国時代に何故興味があるかと言えば、
日本史上最も過酷な時代に、
当時の人達はどんな風に生きていたのか、
どんな風に考えていたのか、
何を支えにしていたのか…という事々が気になるんです。

こんな血みどろな情け容赦無い殺戮の世界にも、
侘び寂びの花は咲き、美しいものも生み出され、
人と人との絆の話もある…。
激し過ぎる戦乱と人間の生き様…、
人の暗黒面と清澄な面…その有象無象のカオスとその鮮明な対比が…、
どうしてそうだったのか…知りたいんですよね。
真実には到達できないかもしれないけど…肉薄して妄想したいというかw。

そしてその事の本質は…案外現代でも同じではないかと思うので…。



それにしても。

片倉小十郎重長さんや真田信繁さんは、
あちらの世でこの邂逅をどんな風に見てるんでしょうねえ…。

きっと…ホッとして…喜んでくれてますよね!!。

なにしろ本当にあんなに激しい歴史のうねりの中で、
両家は様々を乗り越えて今日まで続き、
そのつながりを今日またこのように確かめ合う事ができる訳なのですから、
400年の時を越えて…子孫のお二人が語り合える訳なのですから、
それはあちらでも、感慨深く見守っていらっしゃるのでは……。


☆関連事項☆

『それも浅からぬ縁1』
http://ikiikien.seesaa.net/article/125992573.html

『それも浅からぬ縁2』
http://ikiikien.seesaa.net/article/126059278.html
posted by 夏草 at 23:43| Comment(0) | 歴史の周辺/伊達家関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月10日

400年前、サムライはかの地に降り立った

くはっっっっっっ。

今日6月10日、
皇太子殿下がスペインへ親善の旅に出発されたというニュース見たんですけど。

これって…「日西(スペイン)交流400周年記念事業」の一環なんですってね。


これってこれって…、
「伊達政宗がスペインへ慶長遣欧使節を送ってから400年」だから!!、
なんですってね!!。
なので、
皇太子さまって「日本スペイン交流400周年」事業の名誉総裁に就任されるとか!。


そういえば…1613年頃だったよね、政宗公が支倉常長を派遣したのって。
で、
この使節が「日本から初の正式なスペインへの使節」なんだって。
(そう言われてみれば…そうだな!!w)
だから、

「2013年が日西交流400年記念の年」になる訳らしい!!!!!。


うわっっっ。
いやもう…政宗公っっっあらためて…どうですか!!www。
まあ、大御所(徳川家康)のお墨付きで出航してるんで…、
伊達政宗公単独の英断&犯行(手柄)じゃないんですけどw。
↑犯行ってwww。

(昔はよくね、
「政宗の徳川政権転覆計画」の証拠として、
「慶長遣欧使節」が引き合いに出されてたんですけど、
最近は流石にそこまでの記述は少なくなって…。

いやいや、
でもホント政宗公は表面的には徳川に猫々してたけど、←猫々ってナニwww
心の底ではやっぱ「利用できるものはナンでも利用してやる!。
家康なんかそのうち……だから!俺はまだまだ虎だ!!!」って思ってたのかなw)



まあ…そうは言っても、とにもかくにもね。
大西洋、太平洋を渡っちゃう船造って行かせた人って、
そんなに沢山居ない訳なんで(沢山ってww、
少なくても「流石は伊達者」と言えるんじゃないすか!!!w。


そしてコレ見てください。
こんなカコイイ事になってるよ…↓。

http://www.youtube.com/watch?v=vADxECW_85s&feature=player_embedded


御存知の方も多いとは思いますが…支倉常長さんについては、
仙台市博物館のページがこちら↓。
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/syuuzou/hasekura/index.html


常長さん達日本人の足跡を感じさせるものの一つとして、
あちらでは「ハポン(日本)」という姓の方が結構いらっさる…、
というのは有名な話っすね…。

常長さんの御子孫のインタビューもみつけたっすよ!!↓。
http://www.asahi.com/international/articles/TKY201306050400.html


そして…慶長遣欧使節とサン・ファン・バウティスタ号については、
石巻(月ノ浦)のサン・ファン館のページ↓。
http://www.santjuan.or.jp/bautista/mission.html


東日本大震災以降の今を伝える、サン・ファン館のブログ↓。
http://santjuan.exblog.jp/



この一連の動画やHPにもあるんですが…、
政宗公が常長を「慶長遣欧使節」として欧州へ派遣した1613年は、
奇しくも「慶長大地震(東北では1611年)」の後なんですよね。
この時も大変な津波が東北沿岸を襲ったと…。

今から20年前に復元&進水した、
現在のサン・ファン・バウティスタ号と記念館も、
2011年の東日本大震災の時には、あの未曾有の災害で大きな被害にあった。

しかし。
サン・ファン号は助かっていたのですよね。

地元の皆さんも、あれだけの大災害だったので、
沢山の命が失われ、土地も大変な被害を受けていたので、
もうあの入り江のサン・ファン号なんて流されてどっか行っちゃったか、
粉々に壊されてしまったか…と思っていたと。

ところが。

サン・ファン号は…、
入り江に建てられた記念館に「乗り上げて残って」いたのですよね。
確か、マストがちょと折れてたくらいで、奇跡的にまるっと助かっていた!。

町の皆さんがとても心を強くし、凄く喜んでいたのを当時のニュースで見ました。
オイラも泣いちゃったよ…。


今、サン・ファン号記念館はまだ展望棟?しか入れないらしいです。
船は…外から見れるんだよね、きっと…。
全面的修理完了は今年の9月だそうです。

そんな記念館の館長さんのインタビューもこちらに!↓。
http://www.asahi.com/international/articles/TKY201306050401.html


あと…ちょと気になったんですけど、
どうも何か仙台でも記念イベントはあるらしいんですが、
イマイチ現時点ではハッキリ分らないwww。
なんかおっとりしてるなあ、相変わらず、とも思いましたが、
それよりも復興事業の方が優先…って状態なんですかね…やはり。

でも御祭りと復興と両輪で、
心のテンションを上げて行くのも大事ですよね。
エスペランサを胸に、常長さんの苦難の航海に思いを馳せるのも、
今だからこそ今迄と違ったものが見えてくるのでは…。

オイラもまた調べて、
何かイベントとか分りましたら…ここに書きまっす☆☆☆。

posted by 夏草 at 19:01| Comment(0) | 歴史の周辺/伊達家関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする