2013年08月21日

今も昔も関ヶ原2

「ざっくり関ヶ原」その後編ですw。


ここは、
東山道(中山道)と北國街道、伊勢街道という重要な道が交錯する所で、
しかもそこが、山には囲まれている一定の平地という訳で、
関ヶ原以外にも古来、戦が幾度も起こった場所という事でしたよね。


現代では、
三成の陣取り(笹尾山)と布陣は本当に隙が無く、
セオリーで言ったら勝利していたハズ…という風に、
もっぱら言われてるようですが…。

実地に行って思ったのは、
私のような素人から見ても、家康の桃配山よりやっぱりずっと、
笹尾山の方が戦況を見易いんじゃないかって事でした。

なにしろ当時の合戦は、鉄砲を一度撃ち合ったりすると、
すごい硝煙でもう周囲なんか見えなくなったらしいんですよね。
すると…ただでさえ高台が視界確保&戦況把握に有利な上、
桃配山よりもホントに笹尾山の方が決戦地に近いので、
「よく見え、よく采配できる場所」だったんじゃないかと。

(決戦地がどの辺になるのかって事も、
笹尾山からの方が見え易かった=想定し易かったと思われ)

事実、
家康は最前線が遠過ぎて状況がよく分らないからと、
桃配山から前に出て行ってますよね。
でもそうなると…平地に陣を進める事になる訳で、
つまり、
ますますカオスの中に突入しなければならず、
三成程の視界、視野は、
確保できない状況にならざるを得ないのではないか…。
(まあでも徳川の家臣達が刻々と状況報告してたんでしょうけど)

で…徳川方は前半、
決して戦況有利じゃなかったらしいですね。

当時の戦って…遠戦からだんだんと近づいて、
前線でついに両軍接触すると、
(鉄砲の撃ち合いも含め)入り乱れての接近戦になったらしい。

そうなった場合の勝敗の決め手は、
「押されて撤退した方が負け」らしいんですよね。
つまりは…前線でどれだけこの白兵戦を持ち堪えられるかって所に、
勝敗の鍵があるという事で。

で。

激闘が続き、徳川方が相当耐え忍んで居た時に、
小早川金吾の寝返りがあった訳で、
一気に形勢が決まった…というのは、
そういう事だったのかとつくづく思いました。

ものっっっっっっそ大雑把に見ると、
↓このように前線が三成方に押し上がって来ちゃったという感じで、
これはもう…な訳ですね…。
で、
島津さん達の決死の離脱戦「島津の退き口」が…。
(緑のラインで入れてみましたが…、
これも「ざっくり書き=イメージ」です)

sasaoyamax-senkyou.jpg


でもって、
余談ですが…井伊直政が婿の松平忠吉と一緒に、
先鋒の福島正則を出し抜いたという話は有名ですが、
元々はこんな位置から↓出て行ったとなると、
そりゃ市松さんは激怒するだろうな!とwww。
(ピンクラインも「ざっくり書き」ですwww)

sasaoyamax-senpou.jpg



更に余談ですが。
戦国時代には「主君を選ぶのは自分」という意識があったものの、
その延長線上で「元主君への裏切り〜新主君へつく」事を成功させるには、
タイムリミットって…あったらしいですね。
どゆ事かというと。

御存知の通り、例えばこの時、小早川秀秋だけでなく、
脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保と四人の武将も、
三成側から寝返った訳ですが、
この四人のうちでは脇坂安治だけが所領を安堵され、
あとの三人は減封や改易の憂き目にあっていますよね。

この明暗を分けたものは…「事前に徳川につく」と
態度を明らかにしていた者だけが認められた…、
という事らしいですね。
つまりこの場合は、
「開戦前に、自分は徳川につくと、
徳川にちゃんと通知しておく」という事だったと。

やっぱり…土壇場で「強いものに付く」は見苦しいし、
「将来またコヤツに同じ事をされないとは限らない!」という考えも、
武将社会にあったんでしょうね、
「戦況不利になるや否や裏切って強者につく」って事は、
成立しない、許されなかった…という事で。


最後に。

関ヶ原で勝利した徳川の栄華をたたえ???、
名古屋の友からもらった「流石は徳川」的なもの??をここに貼ってw、
ひとまず私家的「ざっくり関ヶ原」は終了です。
↑ざっくり過ぎだろ!キサマ!!!。

nagoyasenbei02.jpg

nagoyasenbei01.jpg

いや〜〜やっぱ名古屋は金ピカでないと!!!www。
黒に金って…豪華絢爛だな!!!www。
嫌いじゃないです!!ええ!!(わははははははは。
(だっておせんべい美味しいしな!!!)
ラベル:関ヶ原
posted by 夏草 at 19:45| Comment(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月11日

今も昔も関ヶ原1

関ヶ原です!!!。

この前ちょと行く機会(というか寄る機会があって。
「寄る」というくらいなので…全然時間無くてさ…(トホホ、
折角初めて行ったというのに…もう数カ所しか見れなくてさ(トホホ×2。

どうもね、ちゃんと回るためには丸2日は必要らしいっす。
だよねーーだって関ヶ原って行ってみて思ったけど…広いよ!!!www。

で、
最初は自分の趣味から言って(ぇ、
どうしても、金吾さんの松尾山に登ってみたかったんですよ♪。
だけどさ!!松尾山って登山なんですよ!しっかりハッキリ!www。
それも…登頂45分くらいかかるって!!!。

いやもう…この炎天下だし、夏だから虫とかコワいし(わはははは、
しかも直前のオタク大祭典のために体力低下中でへろへろだし(わははははは、
このコンディションの中!45分の登山なんて…死の行軍だよ!!!。

とゆ事で…車で「寄れる」範囲内でのレポートとなりまして…(トホホ×3。

これはまあ、広大な関ヶ原レポの序章っす。
今後もここには何回か行って増やして行きたいと。


さて。

前置きが長くなっちゃいましたが…関ヶ原です!!。

個人的にあんまり好きじゃない(と言い続けて○年ww)関ヶ原。
なんですけども!!!。
いやあ〜行ってみるとさ、やっぱ違うよ。
いろいろと興味湧いちゃってね…やっぱ行ってみるって凄いな。

まずは観光案内図っす。
すません…ちょと見づらいっすね。
でも旧跡史跡が点在してる事だけはイメージできる図かなって↓。

sekigahara-zentaizu.JPG


で、
関ヶ原町の作った勢力図(笹尾山の三成の陣にあります)。
これは関ヶ原の決戦当日の朝8時の状態を推定したものらしい。
見づらかったので字だけ上書きしました↓。
(一度クリックしてseesaaの投稿画像画面になったら、
もう一度クリックして元イメージにして見てください。
その方が大きいので)

sasaoyamax.jpg


オレンジで☆ついてるのは、
東軍の軍監:タダカツー!とひこにゃんパパですw。
こんなトコに居たんですね。


おおーーー。
これもね、今迄何回も本とかで「関ヶ原の両軍図」なんて見たけどね、
こうやって実地で見てみると…やっぱ迫るものがありました。

そして!!。

松尾山を断念した自分、登ったのは…三成の笹尾山だっっっ。
陣の跡がこんな事に…↓。

sekigahara-m01.JPG


真ん中遠くのうっすらした山影が松尾山です。
ああ〜ここから三成右翼の大谷吉継軍に突っ込まれると、
それはイタイなあ…って、ちょと実感湧きました。

sekigahara-m04.JPG

そして。
決戦の勝敗を決したのが「小早川秀秋の世紀の裏切り」っていうのが、
世間的イメージだと思うんだけども、
やっぱ!毛利が!!ここから見てみると…凄い武略の将だよ!!!。
視界左手奥(すません、この写真には映ってません)、
南宮山から動かなかったなんて…、
三成に代わってオイラが切れるぜ!!!(わはははははははははははは。

だって、
家康の後をザックリ穿てるじゃん!、
ガッチリダメージ与えられるじゃん!、
凄いじゃん!…それなのに…おのれ毛利〜〜〜(わはははははははは。

まあね、そこが毛利家の逆に凄いトコなんだと思うんだけど。

この時、
吉川広家が家康側で毛利秀元を牽制したから動けなかった事になってるけど、
これも毛利+吉川の戦略と思えば、
三成は青かったと言われちゃうかもねえ…(トホホ。
つか、
三成って人はそういうトコの腹芸とか出来ない人だったんじゃないかなあ。
だからこそ、いろんなタイプを懐柔できなかった訳だしね。

家康の方がそこは上手だったんですかねえ、よく言われるように。


て、事で。
ここも一応家康側と三成側の「決戦地」の一つという事で、
こんな風に今はなっております↓。
前に出た左近が徳川とここで刃を合わせた…という感じでしょうか。

sekigahara-k01.JPG

それにしても…関ヶ原は今でも水田一杯で、緑が一杯。
なんか感慨深いです↓。

sekigahara-k02.JPG


そしてそして…関ヶ原には、
「関ヶ原クリニック」とか「関ヶ原病院」とか、
「本陣」というお蕎麦屋?さんとか…、
ネーミング的には当然とはいえ、
歴史頭がもうドキドキしっぱなしな所ばっかでした(わはははは。
ラベル:関ヶ原
posted by 夏草 at 15:36| Comment(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする