2016年12月30日

毛利勝永、ここにあり! 3 〜龍造寺&鍋島と〜

さて…今年も押し詰まって参りましたが!、
毛利勝永第三回でございます。

ついに大坂の陣の話に辿り着いた!……着きたい所ですが(ぇ、
それに至る経緯にちょっと触れてみたいと。
特に、
後に勝永軍が対峙したとされる鍋島家との縁を、
そして九州との縁を少し見てみたいと思います。


前回ちょっと出ましたが、
毛利勝永の室は龍造寺政家の娘なのですね。

龍造寺といえば…九州の勇であり、
政家の父:竜造寺隆信がとっても有名で、
御存知の通り、
この龍造寺家と鍋島家も切っても斬れない縁ですよね。

毛利勝永の家と龍造寺家との繋がりの発端はというと、
勝永の父:森吉成(毛利勝信)が秀吉の奉行として九州攻めに参加し、
(秀吉本隊所属の一番隊だったらしい)戦功をあげている所から。
その中で、香春岳(かわらだけ)城を秋月氏から接収するという時、
龍造寺家と一緒に仕事をしているらしい。
で、吉成はその他功績を認められ所領を得、小倉城に入っていると。

因に、
この頃の勝永はまだ10歳前後の少年期。
彼の様子が、安岐毛利家の文書に次のように残っているらしい。

天正16(1588)年、
毛利輝元は秀吉に臣従の意を示すために大坂入りした。
(輝元は元々秀吉の命で四国攻め、九州攻めにも従軍しているので、
臣従自体はもっと早いものだったのだけど、
これが正式で大きい区切りだったらしい)
で、
森吉成の屋敷に招かれ「お能」で、もてなされているらしい。
ここで勝永が!太鼓を叩いているという…。

太鼓!。
自分も少しだけ能管をやるのですが、太鼓難しいです。
(囃子方の太鼓、大鼓、小鼓、能管、どれも難しいには違い無いんですが)
能の「序破急」という調子をどう持って行くのかについて、
太鼓の力ってとても大事で、
音自体も上手が打つと…とてつもなく良い音なんですよね。

まして…毛利家のような大家をもてなす舞台なんて、
少なくてもちゃんとある程度の技量をマスターしていないとつとまらないと思う。
でもまだこの時の勝永は11歳くらいとか!。
そして更にこの後日、輝元一行は飛鳥井雅春の蹴鞠の会に招かれ、
(飛鳥井家は和歌や蹴鞠の家らしい)
この時吉成・勝永父子も相伴してる…と。

能の太鼓に蹴鞠(もしかして和歌も)…。
勝永はつまり、もの凄くちゃんとした教育を受けていた…という事ですよね。
どうも父:吉成も「茶人」としての認知度が高かったらしいので、
この父子は想像以上に風流の道も嗜んだのかもしれません。

でもね、そうなんですよね。
「戦国時代」という呼称からか、
ついつい「戦に強い人が上位」っていうような印象が強いと思うんですが、
実は当時の「ちゃんとした人」っていう定義には、
和漢の才や茶の湯、能楽といった教養は不可欠だったと思われ。
武の道と並んでこれがあって、
「アイツはひとかどの人物=立派だ」となるんで…、
森吉成、毛利勝永父子だってそういう側面が無いと、
ましてやバックはあの秀吉なのだから、
こんな出世とかしないんだろうな…と思いました。


そして。
父子はその後、唐入りに参陣し、太閤の死を迎え、
関ヶ原へ大坂の陣へと進んで行きます…。


そんな中、
鍋島さん家との繋がりについてですが…。

九州攻めで仕事を一緒にした龍造寺家と森吉成。
そして、九州勢の懐柔策の側面もあったようで、
勝永は龍造寺政家の娘を室に貰ったと。

天正15(1587)年、政家が当主であった頃には既に、
龍造寺家の「仁王門」と言われた鍋島直茂は秀吉の直臣になっており、
且つ、実質的に龍造寺家の執政をしていたそうな。

その後、
九州平定に伴って起こった肥後国人一揆の鎮圧に、
佐々成政が失敗し、責任を取って切腹となるのですが、
この平定には、
最初の頃から秀吉の命で森吉成も加わっていて、
最終的に謀反の首謀者達を小倉で成敗したりしているらしい。

そして、
天正16(1588)年には鍋島直茂は長崎代官になり、
高来郡深堀の深堀純賢が秀吉によって追放され、
森吉成とともにその後の代官にも任じられたそうな。

天正18(1590)年、
一度政家の息子:高房が家督を継いだが、
(高房は勝永の室の兄弟ですよね)
直茂の孫娘と縁組の後、高房が鍋島の支配強化に反発し、
(これは秀吉が直茂の方を重用していた事に起因するようで)
この室を殺害し自分も自刃するという事件を経て、
同年、直茂の子:勝茂が、
龍造寺家に変わって当主として秀吉に認知されるに至っている…と。


で、
こういう龍造寺家と鍋島家の関係って、
どうやったら分かり易くなるかな〜と、
ちょっと現代敵な喩えを考えてみたんですけども…。

九州で頭角を現した龍造寺という企業があった。
そこへ中央から豊臣という大きな同業者が九州に乗り込んで来て、
龍造寺家はその傘下に入って一種子会社となった。
しかし、
二代目社長の龍造寺政家が病弱だったり本社社長と合わず、
龍造寺家の経営が不安定になってしまった。
そこで、本社社長が人事を刷新し、
龍造寺の副社長:鍋島直茂を本社採用とし、龍造寺の経営を事実上任せたが、
次の新社長:高房の不満が高く、突然退社してしまったので、
鍋島勝茂(実質直茂)にあらためて社長職を継がせる事になった…と。

う〜ん…微妙な感じも無いわけじゃないけど…(^^;、
一応こんな感じでまとめておきますw。


さて!、
次回はやっとの事で!大坂の陣でございます!!。


☆今回参考にしたもの☆

『真田より活躍した男 毛利勝永』(今福匡 宮帯出版社)
『信長・秀吉と家臣たち』(谷口克弘 学研新書)
『秀吉家臣団の内幕』(滝沢弘康 ソフトバンク新書)
『羽柴を名乗った人々』(黒田基樹 角川叢書)
『鍋島直茂』(岩松要輔 夷光祥出版)
『時空旅人/大坂冬の陣夏の陣400年』(ムック 三栄書房)

他、
小和田哲男先生の本…色々と。
例によって、
当グログが「腐」なのでリンク貼るとかご迷惑なのでできない、
某超有名歴史サイト様



☆関連事項☆

『毛利勝永、ここにあり! 1 〜いざ!大坂城へ〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/437705438.html

『毛利勝永、ここにあり! 2 〜毛利勝永って…実は通称?〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445161745.html

『毛利勝永、ここにあり! 4 〜大一番!大坂の陣〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445713893.html
posted by 夏草 at 00:45| Comment(0) | 歴史の周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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