2016年05月09日

毛利勝永、ここにあり! 1 〜いざ!大坂城へ〜

おおおー!!!。
大河ドラマ『真田丸』になんと、

毛利勝永が! 出るらしいですね!!。

……いやあ…色々と感無量です。

ホントにちょっとだけだったけど、森長可も出番あったし、
今度はちゃんと毛利勝永も。
三谷幸喜さんは歴史好きだけに、流石つかなんつか…。


で、その、毛利勝永さんですが。

大坂の役で名を馳せたのは…勿論、真田信繁、なんですけれども、
でも、歴史ファンの間では長らく、
「信繁だけでなく寧ろ勝永」と言われて来たんですよね。

しかもこれ、昔から言われてたみたいで、
江戸中期の歴史家で俳人の神沢杜口(かんざわとこう)という人も、
自分の随想集『翁草』の中で、

惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず

って書いてるらしい。
(どうも神沢家の先祖に大坂の役に参加して、
毛利勝永の家臣だった人が居るとか居ないとか…)


毛利勝永は色々と興味深い逸話の持ち主なんで、
折に触れて調べてるんですけど…、
大坂の役より前などは特になかなか分からない所も多い。
でも『真田丸』出演という事で嬉しかったので!、
今の所調べられた?事など、この際、中間報告的に並べてみます☆。

(ソースは例によって、
当グログが「腐」なのでリンク貼るとかご迷惑なのでできない、
某超有名歴史サイト様とか、
雑誌『時空旅人/大坂冬の陣夏の陣400年』、
他小和田哲男先生の本とか色々から)


まず。
毛利勝永さんは、お父さんの毛利勝信(森吉成)と共に、
備前数万石の大名だったらしいんですが、
関ヶ原の戦いでは西軍に組みして改易され、
大坂の役の頃には、
関ヶ原東軍の山内家に預かりの身の上となって居たと。


しかし、
風雲急を告げる時勢に、
毛利勝永は大坂へ馳せ参じる事を決意する。

妻と仲が良かったらしい彼は、
その苦渋の決断をとうとう彼女に告げた。

「自分が西軍で負けたために、
お前達妻子にこんな困窮した生活をさせて本当に済まない。
だがしかし今、秀頼様のお味方をして、
今度は徳川に勝ち、家名の恥辱を注ぎたい。
…しかししかし私がここを出奔して大坂城に入れば、
お前達の命が危なくなってしまう…。」

妻はキリっと、
「あなたに嫁いだ時から夫唱婦随と覚悟の上。
あなたの身に何かあれば私は海に身投げし、
あなたが勝者となれば再びお目にかかりましょう。
私達の事は気にせず、どうぞ本懐を遂げてくださいまし。」

…的な受け答えがあったらしい。

しかしこれって…「山内一豊的な夫婦」って感じですねww。
でも山内家から離反する算段な訳だから、
ちょっと皮肉な話ですが。

で…すっかり心が決まった勝永さん、
山内家から出るために、とんでもなく大胆な作戦に出ます!。


この時、
勝永一家を預かっていたのは、その山内一豊の弟:康豊。

関ヶ原の後の土佐藩主初代が山内一豊で、
(長宗我部家の後ですよね…)
そしてこの時の藩主は二代目の忠義。
この忠義は康豊の実の息子なのですが、
一豊の養嗣子として藩主を継いでいたそうな。

で、忠義は既に徳川方として大坂に出発していた…と。

その留守を守っていた康豊に向かい、
毛利勝永は藩主からの一枚の誓紙を差し出した…。

その内容とは…!、
「私、山内忠義と毛利勝永は衆道の約を交わしている(忠義の押印あり)」

えっっっっっどーゆーことーーー???、
うちの息子(今は藩主だけど)と勝永クン、そういう関係???と、
山内康豊が虚を衝かれた(らしい)所を、
勝永曰く、
「そういう訳なので、某、
何を置いても忠義様の御出陣に付いて行き、
大坂で殿様をお助けしたいのです。
それに際しては我息子を人質としてここに置いて参ります。
何卒、某の出馬をお許しください」

え、ああ…そういう事ですか、
そういう事なら、ええもうね、ええそれはもう…と、
康豊のOKが出たので、
毛利勝永、喜び勇んで舟出しようという所、
「見送り名目で港まで来ていた息子:勝家を連れて」、
まんまと大坂へ出奔の後、
当の山内忠義へ助太刀どころか、
豊臣秀頼方として大奮戦してしまった!…という事でwww。


蟄居の身だった真田信繁も、豊臣方へ参陣するのに、
九度山から出るのは苦労したらしいですが、
毛利勝永と来たら…こんな手で!!!(わははははははは。


しかし…当ブログ的に一番気になるのは!!、
果たして山内忠義と毛利勝永って、
ホントに衆道の仲だったのかどうか!!って事ですよねwww。

これでホントにそういう仲だったら、
山内忠義さんがちょっと可哀相だww。

ていうか…藩主の押印まであったという事なので、
まさかそれを偽造とかあり得ないと思うんで…、
やっぱり忠義さんと勝永さんは衆道的な関係にあったって事かな。

(でも、誓紙って…普通書くものなの?w。
「何かあった時にこれを使いなさい」って殿様がくれたりするもの?。
いや…ただ単に「愛の誓い」なのかな。
そういえば、伊達政宗公でもそういう話がちょっとあったような…。
「愛の証的な誓紙」の逸話www。
この辺の衆道作法については自分、余り分かっていないので、
これも詳しく調べてみたい所です。

殿様と衆道の仲であっても…勝永にとってはそれ以上に、
「豊臣秀頼への恩義」と「恥辱を注いで家名再建」という事が勝った!、
という事でしょうか。

いやいやいや!、
忠君というものも実は一種、
主君と家臣の衆道的な結びつきとも言える所があると思うので、
勝永の中である意味では、
秀頼への想いが忠義への想いに勝った!…とも言えるのかも。

くはっっっ恋つか…濃いですね、ええもうねww。

それが証拠に(かどうかは…全く定かではありませんがw)。
毛利勝永、大坂夏の陣で、それはもの凄い武士の勲を見せます!。

以下…次回!☆。


☆関連事項☆

『毛利勝永、ここにあり! 2 〜〜毛利勝永って…実は通称?〜〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445161745.html

『毛利勝永、ここにあり! 3 〜龍造寺&鍋島と〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445362485.html

『毛利勝永、ここにあり! 4 〜大一番!大坂の陣〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445713893.html
posted by 夏草 at 23:48| Comment(0) | 大河ドラマ☆真田丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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