2016年01月21日

戦国 山の国物語8 〜ここにも黄金伝説!〜 

帰雲城という謎めいたお城。
色々調べてはみるものの…ホントに史料や本も無い。

そんな中、賀来耕三さんが、
『消えた戦国武将 帰雲城と内ヶ嶋氏』という本を書いているのを発見。
読んでみたら…、


ええー?「帰雲城に埋蔵金」???。


またまた〜〜〜「埋蔵金伝説」ですか…^^;、
何かといえば「埋蔵金」…滅亡と埋蔵金はセットか!!www。

と、ちょっと思いましたが、

いやいや…ホントに寧ろ逆で、
「帰雲城は埋蔵金伝説で有名」なみたいですね!…ビックリ。

それというのも、
内ヶ島氏の飛騨白川郷って、色々と鉱山があるようなんですよ。
まあ日本の山には鉱山が結構あるけど。

そして、
内ヶ島為氏が将軍義政の命で飛騨に入ったのは、
室町幕府の財源確保のため(鉱山奉行職として)であった
という説もある事を知りまして。


そういえば。

飛騨国って「下下の国/げげのくに」とまで言われていた時代もあり、
その意味は「土地が痩せていて穀物などが採れない」って事ですよね。

ちょっと寄り道しますと。

日本の租税法…古くは「租庸調」がある訳ですが、
「大宝律令」に「飛騨一国のみ」に適応されていた条文があると。
(実際は「大宝律令」の原文は散逸していて、
その改良版で、現存している「養老律令」に見られるらしい)

飛騨国は、通常取り立てられる税の「庸」「調」の代わりに、
「匠丁(しょうてい/木工の技術者)」、
「厮丁(しちょう/匠丁の食事の世話をする)」を出せと。

もの凄く簡単に言うと「庸」は労働納税、
(京で労役をする事。後の時代には米、布などを対価とした)
「調」は繊維製品納税(後には地方特産品などで対価とした)

…という事なのですが、
飛騨地方はそもそも山がちで大きな平地も無く、
(その代わり林産資源は豊富だったが)
農耕が営みにくかった結果、
「庸」「調」が免除されて「匠丁」「厮丁」を…となったらしい。

更に7、8世紀には、飛騨には既に立派な木造建築物があったらしく、
そこへ中央政府も目をつけ技術者達を召還したと。
なので、平城京や平安京、そして石山寺の建立には、
飛騨匠丁の力が発揮されていたそうです。

(しかしこの労役は苦労や負担が多く(食料などは自前)、
労働期間が終了しても、次の場所で続けて働かなくてはならないなど、
良い待遇とは決して言えないものだったらしい。
それで逃亡者なども多数出てしまい、飛騨には若者が減って
荒れてしまったという説もあります)


話をもどしますと…。


大工さん的なハイレベルな技術者が多いとはいえ、
土地柄自体はこんな感じなのに…、
では何故「飛騨は幕府の御料所(直轄地)」なのか。

意外とね…それってホントに白川郷を含む地方が、
金・銀・銅の鉱物資源に恵まれた鉱産地帯だったから?。
だから幕府の奉公衆が直に統治するようになったの?。


それを裏付ける説として…、

「内ケ島氏から献上の砂金で足利義政は銀閣寺を建立した」
という話もあるそうなんですよ!。

…って事はさ、
内ヶ島氏が鉱山奉行として採掘した金は実際あったって事なの?。
だとすると…「埋蔵金」本当にある……???(わははははは。
でも帰雲城の場合、
地震で埋もれた訳だから…「埋蔵金」ならぬ「埋没金」だよね、
(賀来さんもそう書いてた)


…しかし、ここまで書いて…更に疑問が。

この当時ってまだ、
鉱山発掘技術ってそんなに発展してなかったんじゃなかったっけ?と。
確かもうちょっと後だよね、石見銀山とか佐渡金山とか、
採掘やら精製の技術が確率されるのって。
そんなに大量に採れてたのかな???。

賀来さんの本にもそこは言及してて、
曰く「16世紀以前の産金は主に砂金採取だった」と。

砂金?砂金採取って…あれですよね、川に入ってすくうやつ?w、
もっと効率上げるなら、
金が出るとアタリをつけた所を掘る、砂礫から砂金を採取…と。
うーんこれって…確かに金は採れるけど…まだまだ全然効率悪いですよね。
しかもそんなに量採れるとは思えない。
黄金伝説っていうくらいに貯め込むには相当な時間か労役人数が必要じゃない?。


…と見てたら。
おおーーー小和田哲男さんの本にこんな事が出てたよ!。

16世紀の半ばまでは、確かに砂金などを「川ですくって」採っていたが、
これは特に技術を必要としない、誰でもできる方法だったと。

しかし、
1533(天文2)年、博多の豪商:神谷寿禎が、
進んだ精錬法を身につけた宗丹、桂寿という二人の精錬工を中国から招き、
石見銀山で銀の産出を始めた…というのです。

かの国からもたらされた先進的精錬術…それは「灰吹法」。

この方法はまず、
「山や土中から金鉱席を掘り出して粉にし、鉛と共に1200℃の高温で溶かす。
冷えてからこれを割ると…金だけが鉛と結びついた合金になっている。

そして、
鉄鍋の上に、動物の骨灰を皿状に敷き、そこに先の合金を乗せ、
灰吹炉という炉の中に並べて820℃で熱すると…、
鉛だけが溶けて骨灰にとけ込み、皿の上には金だけが残る…」という。
合金を炉に入れて熱する時に、ふいごで吹くから「灰吹法」なようです。

この方法は銀も同じだったらしく、結果、銀の生産量が飛躍的に上がり、
日本は(金というより寧ろ)銀の産出国として有名になったらしい。

これ以降、各地の金山・銀山は開発が急速に進み、
金堀り(金鉱石を掘り出す専業者)の集落ができる程だった…と。
そして各地の戦国大名によって、
金山・銀山の開発、産金・産銀が飛躍的に伸び
我が国の戦国時代はゴールドラッシュの時代と言われている……そうな。


と!いう事は…。

意外と意外と…
「内ヶ島氏が本当に足利義政に金を献上して銀閣寺が建った」というのはあり得る?、
「帰雲城と共に金が埋没」という事もあり得る?って事だろうかっ!!!。

いやいや…ちょっと待て、自分。

実は足利義政が銀閣寺(慈照寺)を建てたのって、灰吹法伝来よりやや早いんだよね。
(だいたい15世紀末から〜)
だから産金・産銀が大幅に増えた時期より微妙に早い。
という事は、たとえ内ヶ島氏の所で金が採れたとしても、
大量生産がまだそれほどじゃなかった時期に、
大量の金が蓄えられていたのか…は不明という事で。

それと…「銀閣寺に『金』が使われたのか?」と書いたのは、
あくまで「建設費に金が使われた」という意味です。
金閣寺が「金箔張り」なのに比べて、
銀閣寺は実は「銀箔貼って無かった」んですよね。
現在の姿は「銀箔が剥がれた」のではなくて「最初の黒漆塗りが剥がれた」状態と。
なので…内ヶ島氏の「金」は財源として使われた可能性があるのか?という事で。

というわけで…いろいろ妄想&想像してみましたが。

どうでしょう!!?、

果たして!!!、
内ヶ島氏の居城に大量の金が秘蔵されていたのか否か!。
それごと埋もれてしまったのか!!!。


うーん……やっぱり…全ては霧の向こう!。
でもいつかお城の場所が特定されたら…
黄金が再び日の目を見るって事もあるのかも…しれませんねw。

という事で…『戦国 山の国物語」飛騨の項は、ひとまずこれにて!。



☆付記☆
今日のソースは…、

「美濃飛騨の歴史がおもしろい/小川敏雄/岐阜新聞社」
「消えた戦国武将 帰雲城と内ヶ嶋氏理/賀来耕三/メディアファクトリー」
「戦国の群像/小和田哲男/学研新書」

その他…からでした。


☆関連次項☆
『戦国 山の国物語1 〜飛騨高山と金森長近〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/422833585.html

『戦国 山の国物語2 〜高山城〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/422896777.html

『戦国 山の国物語3 〜高山の東山寺院群〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/429306219.html

『戦国 山の国物語4 〜姉小路頼綱とは〜 』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432385102.html

『戦国 山の国物語5 〜その後の姉小路頼綱〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432491895.html

『戦国 山の国物語6 〜飛騨の群雄割拠〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432572411.html

『戦国 山の国物語7 〜幻の帰雲城と内ヶ島氏〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432718407.html
posted by 夏草 at 17:52| Comment(0) | 歴史の周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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