2016年01月18日

戦国 山の国物語7 〜幻の帰雲城と内ヶ島氏〜

飛騨の国の歴史シリーズ、
今日は…ついに帰雲城と内ヶ島氏です!。

帰雲城(かえりくもじょう/きうんじょう)

…それは大地震によって、
一夜にして消え去ったという数奇な運命の城。
そしてなにかとても…詩情を誘われる名前の城。

その最期の城主だったのが内ヶ島氏理(うちがしまうじまさ/うじよし)。
彼もまた悲運の将と言えるかと。


内ヶ島氏の出自については…諸説あって、
それぞれ興味深いのですが…ここではちょっと割愛です。

で、内ヶ島季氏の代には足利義満の馬廻衆で、
信濃国に住んでいたらしい。
白川郷へ入った時期は15世紀半ばで、
将軍:足利義政の命で、幕府の奉公衆(直属の家臣)として、
内ヶ島為氏(うちがしまためうじ)が御料所を預かり、
(1449 〜1457年頃と1460〜65年頃と色々説あり)、
牧戸(現:大野郡白川村保木脇/おおのぐんしらかわむらほきわき)に、
城を築き、その後白川郷を独立的に支配したらしい。



そして、
内ヶ島氏と白川郷を語る上で外せない事柄があります。
それは浄土真宗と正蓮寺の話。

飛騨一帯で、
今でもとても有名な照蓮寺(旧名:正蓮寺)というお寺があるのですが、
その起源は13世紀頃。
1253(建長5)年、親鸞の教えを受けた嘉念坊善俊、
(かねんぼうぜんしゅん/後鳥羽上皇の子または孫説あり)が、
美濃国長滝(現:郡上市)から飛騨国白川郷鳩ヶ谷(現:大野郡白川村)に入り、
正蓮寺を建立し、ここを中心に飛騨国の浄土真宗は一大勢力となったらしい。

そして…200年後の15世紀の頃、
先にも書いた内ヶ島氏との関わりが出て来ます。

飛騨へ入った内ヶ島為氏は、民心を深く捉えた正蓮寺の力を危険視していたと。
正蓮寺側の僧:教信も還俗して三島将監(みしましょうげん)という武士になり、
武士を雇い入れるなどして武力を強化、
弟の明教(後の正蓮寺第九世)と共に内ヶ島氏に備えたそうな。

このころ以降、正蓮寺は、
加賀一向一揆などの北陸の一向一揆の際、
兵の派遣や協力を行っているらしいのです。

そうなんです…飛騨国にどとまらず、
北陸地方と浄土真宗は深い結び付きがありますね。
ここでちょっとその辺りを書いてみますと。


「百姓の持ちたる国」「門徒の持ちたる国」…、
御存知のように戦国期、北陸にはそう呼ばれた一向宗の国がありました。
領主支配ではなく一向宗門徒が自治する国という意味ですね。

一向宗とは浄土真宗の事ですが、
その流れは法然、親鸞、蓮如、実如…と続くもので。

北陸への第一歩は1471(文明3)年、
中興の祖:蓮如が越前の吉崎に道場を開いた事が発端で、
その後、勢力を増した門徒たちが、
越中(福光城:石黒光義)や、
加賀(高尾城:富樫政親)でそれぞれ領主を打ち破り、
(それぞれの地域は元々守護代や国衆に分割統治されていた)
北陸に自治国誕生となったそうな。
そして、年貢は石山本願寺へ集まっていく…。

(因に、
浄土真宗の側では自分たちを一向宗とは呼ばない、としているそうで、
蓮如も「政治と信仰は一線を画す」みたいな事を度々説いているようです。
というのも、
浄土真宗本体が政治に口出ししたと取られ、
信仰が否定される事を非常に恐れていたらしいのです。
(特に初期は。
後期になると自らの勢力を積極的に活かした所もあるかと)
しかし信徒の中には無法者に近いような様子も多々あり、
この辺の荒れ模様がやはり為政者と対立関係になって、
「百姓の持ちたる国」へと…。)


更に、
この経済力が、織田信長との戦いを支えていったらしい。
(この「石山本願寺との戦い」と聞くと、
もの凄い激しい戦乱を想像してしまうのですが、
確かに年月は10年くらいかかっているけども、
実際の大きなぶつかり合いは2回くらいなのだそうで、
小競り合いとかにらみ合いが主流だったという事ですね。
それでも兵糧とか武器とかにお金かかった事は間違いないけど)


そしてついに1488(長享2)年、
帰雲城城主:内ヶ島為氏により正蓮寺は焼き討ちにあい、
(異説として1475年、1485年あり)
三島将監は戦死、明教はかろうじて逃げ延びるが…最終的に自刃。

しかし、内ヶ島氏はその後も信者達を抑えきる事ができず、
正蓮寺第十世:明心(明教の子)と和睦する事で、領主として立つ方法を選んだと。
1501(文亀元)年、明心に娘を嫁がせ、
1504(永正元)年、飛騨国白川郷中野(現:高山市荘川町中野)に寺院を復興し、
「正蓮寺」から「光曜山照蓮寺」に改称したそうな。
そして内ヶ島氏は照蓮寺を通じ、本山本願寺と繋がって門徒にもなったらしい。
内ヶ島氏と手を結んだことにより照蓮寺も拡大したと。

その後の1520(永正17)年、
越後の長尾為景(謙信の父)が越中に侵攻して来たので、
本願寺:実如(蓮如の子)は、内ヶ島雅氏(氏為氏の子)を上洛させ、
越後の一向一揆衆支援を要請したそうな。

1539(天文8)年、雅氏は正蓮寺と三木氏(益田郡)と協力し、
郡上郡へ侵攻して、一向宗門徒の北陸への通路を確保したらしい。

そして1547(天文16)年、
内ヶ島氏理(うじまさ/うじよし)が、幼くして家督相続となる。
この頃の飛騨は、三木氏が勢力を伸ばして来ていたが、
三木氏も本願寺と通じていたので、
内ヶ島氏とは敵対関係では無かったらしい。
一方の姉小路氏は内紛によって力を落とし、
そこを三木氏に乗っ取られる事となる…。

では、
氏理の戦国時代はどんなものだったかというと。

1576(天正4)年には織田信長の麾下に属していたようで、
信長の命で越前へ出兵したと。
信長と組んだという事は、
どうも本願寺との同盟関係も終わったらしい。

因にその留守中に上杉勢に帰雲城を急襲され、
確かに落城はしたものの、
略奪にあっただけで城は取られなかった…などという事件も。

そして1578(天正6)年には、
本願寺派から織田方へ乗り換えていた事や、
上杉謙信が急死した影響もあったのか、
内ヶ島氏の越中:砺波(となみ)領でも一向一揆が起こっていると。


そしてそして。
1582(天正10)年の6月に本能寺の変が起き、
1585(天正13)年8月、秀吉の命で金森長近が飛騨侵攻。
この時はしかし、飛騨衆が同盟を結び、抵抗は甚だしく、
長近の軍勢は入国も叶わず、数度の合戦にも大負けしたという話も…。

しかし、
長近も織田信長の赤母衣衆であった武人でもあり、
風流も解すひとかどの人物。
そんな彼は照蓮寺と結び本願寺と通じ、
その後は飛騨制圧はスムーズに(というのもナンだが)進んだ模様。

そして。

内ヶ島氏理が佐々成政に組みして越中へ出陣中、
牧戸城を守る川尻氏信が金森長近に破れたため(内応説もあり)、
またもや帰雲城は内ヶ島氏の留守中に落城の危機に瀕したが、
とって帰った氏理は許しを乞い、
なんとか金森長近に赦免されるのだが…。


この時、天正大地震が起きます。


これは旧暦11月29日の亥子の刻というから、
新暦で言うと1586年の1月18日頃、夜11時〜深夜2時くらい、
飛騨・越中・加賀・美濃などに及んだらしい。
一説にはマグニチュード8.2くらいだったと…。
(一ヶ月も揺れ続け、余震も翌年春まで…と伝えられています)

帰雲山は大崩落し、帰雲城は一瞬にして埋まり、
長近に赦された事を祝う席が設けられていた事もあって、
内ヶ島氏の一族郎党ことごとくが城に集まっており、
内ヶ島氏に身を寄せていた東氏一族も合わせ、
皆が皆、巻き添えになった…と。
城の周囲にあった300軒余りの城下町もひとたまりもなく、
人馬全て飲み込まれ、城主を始め誰一人助からなかった。

……恐ろしいです。
日本のポンペイと言われる事もある話ですが…本当に怖いですね…。


帰雲山には現在もその「崩落跡」と呼ばれる所が存在するようです。

写真などで見るのですが…本当に岩肌が露出したまま。
だけど…400年は経つのに何故緑が戻っていないのか…、
個人的にはそこが寧ろ疑問で不気味です。
(山の表面だけは植物が生える地層で、下が岩盤なのか?。
それだと表面が滑り落ちてしまったから、
岩盤が露出したままで緑化されない…という事かな)

そして実は、
本当に「ここに帰雲城が在ったのか」は…、
現在でも実は確認できていないらしいのです。

生き残ったというより、
地震当日に帰雲城周辺に居なかったために、
命が助かった人達も極少数居るみたいなのですが、
(だからこそ「帰雲城がなくなった」と分かる訳で)、
それでも…その正確な位置はいまだ不明と…。


因に自分は白川郷へ行った時に、
白川郷に接する小高い山上にある荻町城跡にも
上った事があります。

この荻町城は内ヶ島氏の支城と言われているもので、
ここに立つと美しい白川郷が一望できるのですが↓。
(城跡から撮りました)

shirakawago001.JPG


支城という事は…本城である帰雲城も見えていたのかも…と、
目に入る空と山々を見渡しながら、
とりとめも無く想像したりしていました。


帰雲城。

本当に、一体何処にあったのでしょうか…。
謎は時間の向こうに遠く残されたままなのです…。



☆付記☆
今日のソースは…、

「美濃飛騨の歴史がおもしろい/小川敏雄/岐阜新聞社」
「消えた戦国武将 帰雲城と内ヶ嶋氏理/賀来耕三/メディアファクトリー」
「顕如・教如と一向一揆 〜信長・秀吉・本願寺〜
  /長浜市長浜城歴史博物館/サンライズ出版」
「全国国衆ガイド/大石泰史/星海社」
「戦国人名事典/新人物往来社」

その他…からでした。


☆関連次項☆
『戦国 山の国物語1 〜飛騨高山と金森長近〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/422833585.html

『戦国 山の国物語2 〜高山城〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/422896777.html

『戦国 山の国物語3 〜高山の東山寺院群〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/429306219.html

『戦国 山の国物語4 〜姉小路頼綱とは〜 』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432385102.html

『戦国 山の国物語5 〜その後の姉小路頼綱〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432491895.html

『戦国 山の国物語6 〜飛騨の群雄割拠〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432572411.html

『戦国 山の国物語8 〜ここにも黄金伝説!〜 』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432832529.html
posted by 夏草 at 19:27| Comment(0) | 歴史の周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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