2016年01月15日

戦国 山の国物語6 〜飛騨の群雄割拠〜

戦国期の飛騨地方もまた、
色々な国人、国司、守護と入り乱れていた訳ですが、
その末に(前項にも書きましたが)
雌雄を決する「八日町の戦い」が起ります。


時は天正10(1582)年、
松倉城主:姉小路頼綱(三木自綱)と、
高原諏訪城主:江馬輝盛との戦です。


この乱の前段の勢力圏はこんな感じ↓。

姉小路氏(吉城郡/よしきぐん 古川郷)
三木氏(大野郡・益田郡/ましたぐん)高山?
江馬氏(吉城郡高原郷)
広瀬氏(吉城郡広瀬郷=高山市国府町)
内ヶ島氏(大野郡白川郷)
多賀氏(益田郡?)


さて、少し詳しく、
飛騨の群雄割拠を見て行きましょう。
(この項はなかなか調べるのが難しかったので、
今後、訂正&追補があった時には加筆します)



まずは…姉小路氏ですが。
前項までを見ていただければ…w。


そして…三木氏。
京極氏の守護代:多賀氏から出たらしい。

応永18(1411)年頃、
姉小路尹綱の乱を京極高数が鎮圧、
その功により高数は幕府より飛騨国:益田郡竹原郷を得たと。
それに伴い、三木正頼が京極氏の代官として同地に入った事が、
飛騨における三木氏のはじまりと見られているらしい。

二代目:三木久頼は主家の没落に乗じて竹原郷を横取りし、
三代目:重頼は益田郡全体に勢力を広げ、
四代目:直頼は三木氏の戦国大名への基礎を築いた。

というのも、彼は桜洞(さくらぼら)城を築き、
近隣の国人領主たちを次々制圧し強大化、
京極氏や多賀氏に取って代わる力を増していった。

また、
木曽の森林資源を巡って、
対立していた木曾氏(義仲の子孫)を討ち取ったものの、
木曽勢に押し返されたり…この辺も色々あったらしい。

そして三つに分かれていた姉小路氏の一つ、
古河家の内紛に乗じて同家の実権を握り、
残りの小島家、向家を従わせ、
この時は、北飛騨の江馬氏や中飛騨地方の広瀬氏、
南飛騨の土岐氏と結び、
白川郷のの有力寺院である照蓮寺を通じて本願寺と、
そして同じ白川郷の内ヶ島氏とも繋がり、
勢力を拡大していく。


五代目:良頼の代でついに国司に成り上がります。

彼の室は江馬氏で、両者の関係は良好だったが、
妻が亡くなって、三木氏と江馬氏の仲は冷えたらしい。
しかし更に三木氏は近隣を横領したり、
戦で切り取ったりとますます勢力を拡大。
姉小路氏、江馬氏、広瀬氏、内ヶ島氏等々との同盟関係を主導した。
良頼は幕府・朝廷に働きかけ、
ついに、従五位下(じゅごいのげ)飛騨守を拝命し、
最終的に従三位(じゅさんみ)の地位を手に入れ、
姉小路古河家の後継(姉小路嗣頼)を自称する。

余談ですが、

「従三位(じゅさんみ)」とは位階の事で「公卿」…凄い高位ですね!。
なにしろ…足利将軍家とか北畠家とかが受けているのと同じ位です。
姉小路氏も家格が高く(元々お公家さんだし)従三位だったと。

という事から見ても、
三木良頼は…ものすごく姉小路氏に成りたかったんでしょうね、
自分も「姉小路」を名乗ろうとしたけど認められず…。
(でも自称はしたらしい)

また、この頃にはもう例の様子、
朝廷にお金を献上して位階を貰える事になっていたらしい。
従三位から上が上級官人という事らしいので、
在郷の下級武士がここまで来るには、
色々多方面、並大抵の粘りでは無かったんでしょうね。
(賀来耕三さんなどは「小悪党三木氏」とまで書いてます)


で、話をもどして…。

一方では、
長尾(上杉)氏・武田氏間の緊張関係下で、
前項にもかきましたが、
小領主たちはその勢力下に組み入れられながらも、
ぶつかり合いを繰り返す事に…。

三木氏も例に漏れず、
敗戦によって武田方に納まりながら、上杉に通じ、
武田方の江馬氏と軍事的・外交的な戦いを続けたと。
また、そのような複雑な立場で斎藤道三とも結び、
道三の娘を嫡男:自綱の室にもらい受け、
やがて美濃を支配下に置いた織田信長にも近づいた。

(そしてこの後詳しくは…前回の姉小路頼綱にて)

結果としては…天正13(1585)年、羽柴秀吉の命で、
飛騨に侵攻した越前国大野城主:金森長近に討たれ、
三木氏は「姉小路氏」という名跡も道連れに滅んだ…という。



江馬氏。

江馬氏もまた、高原郷(飛騨市)に根を張る、
飛騨の有力者であったらしい。
既に15世紀には高原諏訪城を本拠地としていたそうな。

この頃、江馬時常が娘を三木氏に輿入れさせていて、
関係は良好だったものの、彼女が若くしてなくなり、
両家の間は悪くなったと。

様々な同盟、敵対を経験し、
特に後年三木氏との間で何度も戦があったらしい。

また、武田氏・上杉氏の対立には、
どうやら江馬時盛(父)は武田に付こうと考え、
輝盛(子)は上杉方になりたかったらしい。
彼は三木氏に従って、上杉勢として従軍したりもした事があると。
しかし、結局父子が不和となり、家督を巡って争いが起こり、
天正6(1578)年(異説では天正元年/1572年)6月、
輝盛が父を暗殺したとされる。

このね、父子とか兄弟とか親族で組みする相手が違って、
敵対関係になる…ってもはや戦国時代の定番ともいえますが、
本当にシビアな対立ですよね。
まあ…現代だって生き死にが関係無いだけで、
深刻な争いは家族の間でも起こりうる訳ですが…。

そして…同じ10月、織田信長の死を知り、
江馬輝盛は三木自頼を倒すべく出陣したが、
八日町の戦いにて討ち死にした。

この江馬氏の滅亡によって、
姉小路頼綱に対抗する大きな勢力がなくなり、
頼綱の飛騨統一(白川郷を除く)が達成されたとも言えると。


広瀬氏。

応永18(1411)年、姉小路尹綱が所領の不満から、
幕府に弓を引いた事から起こった「姉小路尹綱の乱」の時、
この広瀬氏もまた、
父:広瀬常登は反幕府軍、
息子:広瀬徳静は幕府軍と分かれて参戦した。
この乱の結果は、姉小路尹綱と広瀬常登は破れて戦死。
(徳静は勝ったものの、不遇をかこつようになったそうなのですが、
ここら辺はもう少し詳しく経緯を知りたいです)

やがて応仁の乱で政治が乱れ、
国司:姉小路氏、守護:京極氏の力も衰えを見せると、
三木氏、江馬氏、そして広瀬氏が台頭して来る事に。
広瀬氏は三木氏と敵対した時期もあったらしいが、
八日町の戦いでは三木氏に加担。

この時は勝ったものの、姉小路頼綱に、
当主:広瀬宗域が謀殺され、その城を盗られたらしい。

この怨恨からか、後の金森長近の飛騨侵攻の際には、
広瀬氏は金森軍について姉小路頼綱に勝利したが、
自分の城の返還は無く、更に飛騨国人への圧力が強くなり、
江馬氏と共に、金森家に対して一揆を起こしたという。

しかし、金森長近の息子(養子)金森可重に追われ、
信濃へそして近江へ落ちのび、井伊氏に仕えたという説もある。



多賀氏。

飛騨守護:佐々木道誉に派遣された守護代。
佐々木京極氏の本国は近江であり、彼は飛騨以外にも、
近江・隠岐・出雲の守護だったので、
それぞれの守護分国には代官を置いていた。

多賀氏は、京極氏屈指の有力被官だったそうで。
15世紀半ばになると、多賀氏と多賀氏から出た三木氏が、
飛騨を実行支配するようになっていたらしいが、
勃発した「応仁の乱(1467年)」では、
多賀高忠が京極氏に代わって山名氏に対抗し、大奮戦した。

しかし文明2(1470)年、京極氏に世継ぎ問題が起ると、
京極氏と多賀氏は双方で身内が二派に分かれてあい争い、
結果多賀氏は衰退して行く…。

またですよ。
やはり身内の内紛や対立って、血で血を洗うだけでなく、
(それが一番恐ろしいとはいえ)
家の力も結果的に削いでしまう訳で、
こういう事を分からない訳では無いだろうのに、
それでも骨肉の争い…となってしまう、
戦国の荒々しい気風というか、
死ぬか生きるかがそれだけ切迫している時代というか、
この辺の空気をを生々しく実感・理解するのは、
現代ではちょっと難しいですね。



最後に…塩屋秋貞。

この人もね、
なんとBASARA3のモブ将として出て来ますよね!。
BASARAって…、
なんでこういうマイナーなトコは突いて来るかなw。

彼はその名の示すように「塩」商人だったという説も。
塩を制する者な訳だから財力があったという話もあり、
三木氏などにお金を貸していたとかいないとか…。

一時期上杉家の配下にあったが、
一方で江馬輝盛・内ヶ島氏理・三木自綱らを
支配下に置いた事もあると。
…やっぱり財力で、でしょうか。

しかし姉小路頼綱(三木自綱)が、
飛騨の雄になっていた頃には(頼綱の家督相続は1572(元亀3) 年) 、
塩屋秋貞は彼の配下にあって、
1576(天正4)年に上杉氏が飛騨:内ヶ島氏の帰雲城を襲い、
略奪して帰参した後を任されたらしい。
(という事で…内ヶ島氏の白川郷実行支配は続いていたものの、
姉小路頼綱と内ヶ島氏理との間は同盟関係のようなものだったのかも)

本能寺の変の1583(天正11)年、
攻め寄せて来た秀吉に徹底抗戦の佐々成政に組みし、
鉄砲で撃たれ、秀吉方の金森長近に破れて…、
歴史の表舞台からは消えた模様。


そして…繰り返しになりますが、
天正13(1585)年のこの金森長近の飛騨侵攻によって、
飛騨全般は平らげられてしまいます。


かなり長い間、飛騨地方で優劣を競い、
ヒエラルキーの争いをしていた小領主たちも、
結局織田配下の、
様々な点で近代的武将に破れた…という事なのでしょうか。

そして次項は…、
内ヶ島氏と帰雲城について!です。
幻のように消えてしまった城、そこにはどんな歴史があったのか…。



☆付記☆

『戦国 山の国物語4 〜姉小路頼綱〜』
『戦国 山の国物語5 〜その後の姉小路頼綱〜』
『戦国 山の国物語6 〜飛騨の群雄割拠〜』

の項のソースは、

「美濃飛騨の歴史がおもしろい/小川敏雄/岐阜新聞社」
「全国国衆ガイド/大石泰史/星海社」
「戦国人名事典/新人物往来社」
「境界線と戦国諜報戦/盛本昌広/洋泉社」
「消えた戦国武将 帰雲城と内ヶ嶋氏理/賀来耕三/メディアファクトリー」
「戦国合戦地図帳/学研」

その他…からでした。


☆関連次項☆
『戦国 山の国物語1 〜飛騨高山と金森長近〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/422833585.html

『戦国 山の国物語2 〜高山城〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/422896777.html

『戦国 山の国物語3 〜高山の東山寺院群〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/429306219.html

『戦国 山の国物語4 〜姉小路頼綱とは〜 』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432385102.html

『戦国 山の国物語5 〜その後の姉小路頼綱〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432491895.html

『戦国 山の国物語7 〜幻の帰雲城と内ヶ島氏〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432718407.html

『戦国 山の国物語8 〜ここにも黄金伝説!〜 』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432832529.html
posted by 夏草 at 02:15| Comment(0) | 歴史の周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント