2016年01月10日

戦国 山の国物語4 〜姉小路頼綱とは〜

新春第一弾は!「飛騨の国の物語」続きです。

山河が入り組んでいるせいか、一筋縄では行かない飛騨の歴史。
「日本の山の国の戦国時代」って、
なかなかこんがらがってるけど興味深いです!。

で、ここからは、
金森長近の登場する前の飛騨の歴史をちょっとばかし…。

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今日は、
姉小路頼綱(あねがこうじよりつな)を中心に…。


そう、
彼は飛騨戦国時代の中心軸の一人ですね。
そしてなんとこの人、ゲーム『戦国BASARA3』に出てましたよね!!。

その名も<帰雲城碧落戦>というステージに。

いやあ…実は自分これで遊ぶまで、
寡聞にして知らなかったです、姉小路氏も帰雲城も。

因にゲームでは一緒にされてますが、
帰雲城は、本当は姉小路氏のものではなく、内ヶ島氏のお城。
(読みは「かえりくもじょう」らしいですが、
「きうんじょう」もカッコいいですよね。
御当地の民話とかではこの読みもあるらしい)

内ヶ島氏と帰雲城にも数奇な運命があるのですが…、
それは別項にて。


そして今回、ちょっと気になるポイントが二つ。

一つ目は
「姉小路頼綱は、元は三木自綱(みつきよりつな)という武士」

元々の「姉小路氏」はお公家さんの一族らしいのですが、
「姉小路頼綱」は武士です、それも元々は下級の武家。
姉小路氏の血の繋がった子孫じゃないんですね。
それがどうしてこうなった???…という所。

そして二つ目は
「飛騨地方の当時の情勢について」

まずは…飛騨地方がどういう国に囲まれているのか!、
ちょっとおさらいで見てください。

kyukokumei.jpg



うーん、
武田信玄の甲斐・信濃、上杉謙信の越後と近いですね。
武田信玄と上杉謙信がにらみ合い、ぶつかり合う場所なのですね。
そして更に土岐氏が居て、斎藤道三や織田信長、羽柴秀吉が来る。

…ちょっと考えただけでもなんて大変!。

だから調べて行くと…国衆は皆、
この大きな嵐のような存在が吹き荒れるのに巻き込まれつつ、
どうやったら生き残れるか、どこにつくのが有利なのか、
どの選択が最善なのか…を模索画策し、
結構な暗闘や小競り合い、取った取られたを繰り返していて、
その舵取りの難しさと激しさは凄いです。

そう!このまさにこの「境目」という地域が興味深い!。
各地の国人たちの勢力範囲を巡ってのせめぎ合いの物語は、
まさに戦国時代そのものと言える内容かと。
それが飛騨の歴史にも凄く現れています。


それでは、まずは姉小路氏について。
ざっと前歴史を。


↓この辺の有力人物たちの配置を、
「図説/戦国合戦地図集(学研)」を参考に。
またまたざっくりと地図に書き込んでみますと…

hida2.jpg



姉小路氏はもともと藤原氏北家小一条流の中流公家らしい。
(藤原師尹/ふじわらもろただ の子、
藤原済時/ふじわらなりときが、飛騨国司;小一条流姉小路家の初代らしい
因に姉小路家は閑院流、小一条流、観修寺流の三つがあるようです)

鎌倉幕府、五代将軍:頼常と共に鎌倉へ下り、
(この将軍は、幕府親派の公家で左大臣:九条家の血筋なので、
生まれたのは京都。下向の際はわずか2歳だったそうな)
14世紀の姉小路高基の頃には既に飛騨国司であったそうな。

幕府が潰えて以降は京へ帰り、
1333年建武の新政(建武の中興)の時に後醍醐天皇によって、
姉小路家綱が国司に任ぜられて実際に飛騨に赴任。
応永4(1371)年は、越中守護:斯波義将と戦うため越中に出兵した。


小鷹利郷(こだかりごう)の信包城(のぶかじょう)を居城として、
北飛騨(古川盆地中心)を支配下に置き、
武家が台頭してきてもその地位を守っていた。

南北朝になると延文4(1359)年に、
北朝方から、北近江を拠点としていた京極氏が飛騨守護として配置され、
南飛騨を支配(先の守護は岩松氏)。

地盤としては古川盆地を姉小路氏が、
古川盆地の南方、高山盆地以南を京極氏が支配していたらしい。
しかし、
京極氏は近江や飛騨以外にも数カ所の守護を兼務する大名だったため、
実際は守護代の多賀氏の支配下に置かれた…と。

これ以降の飛騨地方はつまりこのように、
守護と国司が並立する状態になっていたらしい。


で、ちょっと寄り道、京極氏ですが。

元々は佐々木氏から出た家系。
佐々木って!あの佐々木道誉の家の事ですね!。
(佐々木京極氏。佐々木氏は六角氏へも分裂したと…)
そう、まさしく「婆沙羅大名」として名高いあの人です。

戦国時代の一つ前の時代、
足利尊氏に与し、武功をあげた道誉は、
公家社会に対しても公然と対決し、
彼らをものともせず傍若無人に振る舞うという、
その意味でも「婆沙羅な生き方」をした人と言えるかと…。

また、
京極氏といえば、戦国期は京極高次辺りですか。
彼は道誉の八代後の子孫。
そして彼は、浅井長政&お市の忘れ形見三姉妹の一人、
浅井初(=浅井江の姉)の夫な事でも有名ですね。
(因に『BSR4』でも出て来る京極マリアは、
高次の母であり、元々浅井長政の姉)
つまり、高次と初はいとこ同士という事になりますね。

あとは…松の丸殿。
高次の妹で秀吉の名高い側室の一人ですね。
そんな訳で…姉妹と妻で出世した「七光り男」という事で、
彼は「蛍大名」とか呼ばれちゃってますが…。


それから因に…「国司と守護」について。

国司とは「朝廷が任命する公家の行政官」で、
元は、7世紀の律令国家体制の頃には全国に任命され、
各地を支配していたと。

守護とは「鎌倉・室町幕府が作った武家の職位」で、
行政官・軍人という感じ。
時代が下るにつれ、国司は形骸化し、
守護が実質的支配権を握るように成って行き、
ここから守護大名などが生まれたと。

普通はこのように、
国司の影響力は戦国期には低下するものなのですが、
姉小路氏については意外とその力を維持していたらしい。
その理由としては、
飛騨国がその峻厳な地勢故に、外界とある程度隔絶されており、
領民などの意識や考え方も刷新されておらず、
国司の権威が保たれていたのでは…という説を見ました。

(あとね、「国司」と「国守」は違うんですよ。
この辺自分もなかなかスカッと覚えられないんですけども(トホホ、
いずれこれもまとめてみます)


そして…また話を姉小路氏に戻しますれば。

応永18(1411)年、姉小路氏は小島家、
小鷹利(=向あるいは向小島?小島向?)家(小島家からの分家)、
古川(古河)家(京都に残った家綱の次男:昌家の流れ)の三家に分かれたが、
飛騨国司は嫡流(=本家)の小島家当主が引き継いでいったと。
(とはいえ、
史料には「小島家、向家も<国司>と外からは呼ばれていた」とあるらしい。
そして、小島家と古川家は分立当初から家督を争っていた…という説も。
因に飛騨地方に実際に居住していたのは向家だけで、
小島家と古川家は京都と飛騨を行き来していて、
特に古川家は京都に居る方が多かったらしい…。)

因に古川家は和歌で有名な家。
和歌を通じて一条兼良、三条西実隆など京都の公家との交流も盛んだったらしい。


分かれた三家間の所領の処遇を巡る争いから、
小島姉小路家と対立した古河姉小路尹綱が、
「応永飛騨の乱(=姉小路尹綱(あねがこうじただつな)の乱)」を起こし、
飛騨国人:広瀬常登(ひろせじょうどう)がこれに加勢した。
彼らは小島家と結んだ幕府軍:京極高数を相手に戦ったが、
あえなく敗戦。

この戦はよく見ると、
飛騨の「国司 vs. 守護」ですよね。
ここで直接対決となった訳ですが…、
この後も、
姉小路三家と京極氏の関係は単純な対立関係ではなく、
被官も含め複雑にめまぐるしく流動化。

具体的に羅列すると、
古河姉小路尹綱の乱→古河家は途絶えたが、また復活、

古河家は嫡流:小島家を凌ぐ勢いになる→
向家と共に京極氏と戦い、京極氏被官の三木氏を討ち取る

古河家・向家が小島家と争う→小島家が京極氏と結ぶ→
古河・向両家を飛騨から追放、

その結果京極氏の勢力が増大→しかしまた両家が復活…。

国人:江馬氏が勢力増大し侵攻してくる→
三木氏と結んだ姉小路氏が江馬氏を破る

この辺までは姉小路氏は国司として頑張っていたようなのですが…、


更に、
京極氏とその守護代:多賀氏がその後の応仁乱の中で衰退→
三木氏が台頭、

飛騨の地頭:江馬氏も介入して波乱の後→飛騨も下克上の時を迎える事に…。
(う〜んまだこれでも下剋上じゃなかったのか^^;)



やっと…やっと出て来ましたね!三木氏!ww。
上記の三木氏が「姉小路頼綱=三木自綱」の三木氏です。


そもそも、この家は京極氏の被官で、
どうも今の岐阜県下呂温泉周辺を本拠地にしたらしい。
で、段々と守護:京極氏や守護代:多賀氏を凌ぐ、
現場での実力者になっていったそうな。

で、そんな中(1556年)、
上記の江馬氏が武田信玄と通じ、古河姉小路家を滅ぼし、
その後、長尾景虎(上杉謙信)が江馬氏を攻め、
長尾(上杉)方である三木氏が助太刀して江馬氏を撃退した…と。

そしてとうとう弘治4(1558)年に、
頼綱(自綱)の父:三木良頼は、
将軍:足利義輝の取次ぎで、
従五位下(じゅごいのげ)「飛騨守」に任じられ、
下級武士がついに「国司」にまで上り詰めたという事に。

更に、
武田信玄と結んだ江馬氏が、
姉小路家の内紛に乗じて同家を衰退させた三木氏と争い、
三木氏はこの時、上杉謙信に支援を求めたため、
これが!…信玄と謙信の、
第五次川中島合戦(1564年)へと発展したらしい。


その後、良頼は勅許を得て、
息子:自綱(頼綱)に姉小路氏の名跡を継がせる事にも成功、
ここにとうとう「姉小路頼綱」が成立した!。


はああ〜〜もの凄いいろいろがありましたねえええ。
ここまで書くのにもゼーハーですがw、
次回は続く後半を…。
(ここまでで既にこんなヨロヨロ頭でアップできるのか!
できるのか自分www。


☆関連事項☆
『戦国 山の国物語1 〜飛騨高山と金森長近〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/422833585.html

『戦国 山の国物語2 〜高山城〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/422896777.html

『戦国 山の国物語3 〜高山の東山寺院群〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/429306219.html

『戦国 山の国物語5 〜その後の姉小路頼綱〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432491895.html

『戦国 山の国物語6 〜飛騨の群雄割拠〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432572411.html

『戦国 山の国物語7 〜幻の帰雲城と内ヶ島氏〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432718407.html

『戦国 山の国物語8 〜ここにも黄金伝説!〜 』
http://ikiikien.seesaa.net/article/432832529.html
posted by 夏草 at 19:34| Comment(0) | 歴史の周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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