2013年04月10日

戦国 白馬の王子 〜2〜

さて。

現代において、
「浅井長政=素敵王子様イメージ」なのは…何故なのか?。

まずは言わずもがなですが、やはり浅井長政という人の一生が、
とても難しい局面を必死に生きて、運命的に滅んだ…という、
「悲劇の主人公イメージ」だから、ではないでしょうか。

なにしろ、
あの巨星ノブ様の「妹婿」だというだけで、
もう現在の歴史観的には十分過ぎる注目度な上、
長政様自体、15歳くらいの戦でものすごい活躍をしたので、
浅井家の老練な重臣達
(赤尾清綱・海北綱親/かいほうつなちか、そして遠藤直経)らが、
すっかり若殿に惚れ直しちゃった!!!、
という逸話もあるくらいの若武者ぶりだったようなので、
それはもう、鮮やか過ぎるもののふの姿と言えるかと。


そして二点目…これもやはり「戦国一の美女を娶った男」という所。
伝説の美女:お市の方とは家同士相容れない状態になっても、
仲睦まじい夫婦だったと逸話等では言われている訳で、
もうこれは美男美女相思相愛のロマンの域かと。

そして、
朝倉家と織田家との板挟みになり、
結局古い信義をとった…というまさに悲劇まっしぐらな人生。
(異説としては、長政様は朝倉というより、
足利義昭との関係性を重視したというのもありますが…どうなんでしょう…)

アノ!ノブ様を敵に回し、その妹を愛し抜くも、
妻と娘たちの命乞いだけして、自分は自刃。
もう鮮烈といって、
これ程鮮烈男前な印象の一生もそう多く無いですね。

小谷城落城の1日前、長政様最後の手紙というのも現存しているそうで、
これが…浅井家家臣:片桐直定(片桐且元の父)への感状らしいですね。

自分が死ぬ前に、家臣への感状を残す。

感状とは…主君からの、
「この者は当家の非常に優秀な良き家臣です」という家臣へのお墨付き。
つまりは、貰った者にとってはとても大切な主君からの言葉であり、
同時に、次の仕官の時に、
大変重要な推薦状みたいな役割を担うものなんですよね。

この時代の頭領たるもの、
死地にあっても感状を書くくらいの度量あってこそ主君…、
とは思います、思うけど……落城を覚悟しての一筆、
愛する妻や娘達を道連れにせず逃がしたり、
最後まで家臣を思ってこれを書いたりした長政様の気持ちには、
やっぱりじんとしてしまいます。

こんな所も、
誠実で情に厚い清廉な武将…というイメージになっていると思われ。



そして。

今に続く影響として、案外無視できないのではないか…と思うのは、
「長政様は徳川家光の祖父」という事です。

そうです、徳川家の祖の一人という事は…、
徳川幕府にとっても、非常に重要である事は間違い無い。
しかも、その妻(こちらも徳川の祖の一人)はノブ様の妹!。

その人の地位を「信長に破れた武将」として置くだけなんて、
徳川の辞書には無かったのではないでしょうか。

そこんトコ、ちょと飛躍になりますが…、
実は長政様、
江戸中期の中御門天皇から官位(従二位中納言)を賜ってるそうで。
(この天皇は徳川将軍でいうと六代:家宣〜八代:吉宗の時代の人、
という事になります。)
中御門天皇と徳川幕府は関係良好だったそうで。
(宮廷と幕府って仲良いって事ばかりは無いですからね…)

この先が今一つハッキリ調べられなかったので、個人的妄想ですが、
(しかし……全く無関係とも思えない)、
長政様への官位下賜というのも、
その良好さを背景にしているといった事も、
或いは……あり得るのではないか…と思う訳で。

秀忠が亡くなった年に官位を授かっているという事なので、
それこそ徳川へのプレゼントというか、
徳川家の方からお願いしてそうして貰ったのか…。

まあ…中御門天皇が単に、歴史好きで何か懐古趣味だった、
とかいう可能性も無い訳ではありませんが…。

とゆ事で。
うーんんん。

もうちょっと長政様については書きたい事がありまして。
王子様伝説とはちょっと離れますけど、
次回は、長政様をめぐる男達の話です♪。
ラベル:浅井長政
posted by 夏草 at 19:04| Comment(0) | 歴史?よもやま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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