2009年10月16日

御殿様とお香 〜伊達家篇3〜

お香(香道)と伊達家について、今日はちょっと遡ったお話を。

まず。
香道で現在主立った流派は二つ。
一つは公家風の御家流(おいえりゅう)、
一つは武士の気風と言われる志野流(しのりゅう)。

前者、御家流の祖は、室町時代〜戦国前期に於いて、
当代随一の文化人と言われたお公家さん、三条西実隆公です。
文学、有職故実、茶の湯、書、お香と…もの凄いハイレベルな教養人だった彼ですが、
一方で、貴族社会の衰退と武家の台頭という時代に、
お金儲けのような事には長けていない人だったらしく
(如何にも教養人の公家さんらしい)、
生活が困窮していく…というような事も、
名高い「実隆公記」という日記には記されているらしい。

ちなみに、
志野流の祖は志野宗信(その後蜂谷家がこの流れを組んで、宗家筋となる)ですが、
志野流でも祖は三条西実隆公である、とされているようです。

そして、余談ながら…実隆公は、
あの千利休の茶の湯の先生、武野紹鴎に茶の湯を教えていたらしい。
つまり、千利休にとっての大先生という事に。


ここからは、実はうろ覚えの話なので…、
確かめられたら少し訂正するかもしれない内容です。

以前、その『実隆公記』かなんかで、
三条西実隆公と伊達家が多少繋がりがあるような事を読んだ記憶があるのですが。

時は政宗公のひいおじいさん、伊達稙宗の頃。
朝廷はもはや、
象徴的権力としてしか力を持たなくなりつつありましたが、
唯一その存在価値を世に知らしめるのは…「官位」を人に授ける時。
それも…実際はお金で位が売り買いされていたらしいのです。
三条西実隆公も大内義興の左京大夫拝命には一つ噛んで居たらしい。
ご本人は「実隆公記」で悔やんでおられるようでしたが。

で、
政宗公のひいお爺さん稙宗公も左京大夫になったらしいのですが、
この時もふんだんに金品を使ったらしいです。
でも、この「稙宗公が朝廷だけでなく、実隆公へも贈り物をした…」という、
その肝心核心の所…「したかどうか」がうろ覚えなのですが、
確か…稙宗公奥州の名馬を何頭も都に贈ったり、
物質的に豊な所を見せられた実隆公が、
「すごい…」とびっくりしている記述が、何かの本のどっかにあったと…思うんで。
↑うろ覚えにも程がある!!(笑。

でも、
稙宗公は実隆公に自作の和歌の添削を頼んでいるという事は、事実あったらしい。
なので…その後の伊達家の文化的な発展は、
この三条西家との繋がりで、格段に水準が上がって行ったのかもしれません。
そしてその先に…漢詩も和歌も、
当時の武将の中で一歩も二歩も秀でていた伊達政宗公が出現する訳です。

鄙の戦国武将、猛々しい印象の強い伊達政宗公ですが、
結局、教養の点で、なかなかのバックボーンだったのかも知れず、
ホントに相当文化好きーだったらしいです(ふふふ。


☆関連事項☆

『御殿様とお香 〜伊達家編1〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/129841193.html

『御殿様とお香 〜伊達家編2〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/129908148.html

『御殿様とお香 〜第一夜、第二夜の補足〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/130217782.html


『御殿様とお香 〜信長公と蘭奢待(らんじゃたい)〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/131104083.html
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posted by 夏草 at 00:36| Comment(0) | 歴史の周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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