2016年12月31日

感慨無量…

今年もあと少し……。

皆さんにとって今年はどんな一年でしたか?。

自分的には…ちょっと仕事が変わった事で、日本中飛び回りました。
北は函館、南は宮崎…そして新潟、富山、滋賀、愛知、浜松、神戸、仙台、
目が回るような移動の連続で、なかなかへとへとになりました^^;。

お城もあっちこっち行けました。

ついにとうとう姫路城、
改修が終わった小田原城、
小さいけど中の博物館が素晴らしい富山城、
念願の小牧山城、
里帰りでの仙台城、
そしてお城じゃないけど、井伊直虎の龍潭寺…。

どんなお城も歴史的な場所も素晴らしくて、
そこで繰り広げられた歴史や逸話にドキドキ!。

そして…年末には横浜で「お城expo」。

去年までと打って変わって本当に外へ出て、
いやあなんというか…もう盛り沢山な一年でした。
なかなかブログにまとめられなかったけど、来年またぼちぼち行きます^^。

そして、自分的には、
体調を壊さず予定を全て消化出来て良かったよ…。
頑張ったで賞を自分で自分にあげたいと思いますwww。



今年も当ブログに遊びに来て下さった皆さん、
「腐」友の皆さん、
歴史友の皆さん、
普通の友の皆さんw、
イベントでお会いした皆さん、
そして相変わらず特撮オタクなツレ、

どうもありがとうございました!。

皆さんも是非、
この一年の長丁場を頑張った自分に「頑張った賞」をあげて下さい☆。
良いお年を&健やかな新年を!!。


PS/今年の「紅白」…MVPは武田アナだっっ(わははははははは


posted by 夏草 at 23:44| Comment(0) | 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

毛利勝永、ここにあり! 3 〜龍造寺&鍋島と〜

さて…今年も押し詰まって参りましたが!、
毛利勝永第三回でございます。

ついに大坂の陣の話に辿り着いた!……着きたい所ですが(ぇ、
それに至る経緯にちょっと触れてみたいと。
特に、
後に勝永軍が対峙したとされる鍋島家との縁を、
そして九州との縁を少し見てみたいと思います。


前回ちょっと出ましたが、
毛利勝永の室は龍造寺政家の娘なのですね。

龍造寺といえば…九州の勇であり、
政家の父:竜造寺隆信がとっても有名で、
御存知の通り、
この龍造寺家と鍋島家も切っても斬れない縁ですよね。

毛利勝永の家と龍造寺家との繋がりの発端はというと、
勝永の父:森吉成(毛利勝信)が秀吉の奉行として九州攻めに参加し、
(秀吉本隊所属の一番隊だったらしい)戦功をあげている所から。
その中で、香春岳(かわらだけ)城を秋月氏から接収するという時、
龍造寺家と一緒に仕事をしているらしい。
で、吉成はその他功績を認められ所領を得、小倉城に入っていると。

因に、
この頃の勝永はまだ10歳前後の少年期。
彼の様子が、安岐毛利家の文書に次のように残っているらしい。

天正16(1588)年、
毛利輝元は秀吉に臣従の意を示すために大坂入りした。
(輝元は元々秀吉の命で四国攻め、九州攻めにも従軍しているので、
臣従自体はもっと早いものだったのだけど、
これが正式で大きい区切りだったらしい)
で、
森吉成の屋敷に招かれ「お能」で、もてなされているらしい。
ここで勝永が!太鼓を叩いているという…。

太鼓!。
自分も少しだけ能管をやるのですが、太鼓難しいです。
(囃子方の太鼓、大鼓、小鼓、能管、どれも難しいには違い無いんですが)
能の「序破急」という調子をどう持って行くのかについて、
太鼓の力ってとても大事で、
音自体も上手が打つと…とてつもなく良い音なんですよね。

まして…毛利家のような大家をもてなす舞台なんて、
少なくてもちゃんとある程度の技量をマスターしていないとつとまらないと思う。
でもまだこの時の勝永は11歳くらいとか!。
そして更にこの後日、輝元一行は飛鳥井雅春の蹴鞠の会に招かれ、
(飛鳥井家は和歌や蹴鞠の家らしい)
この時吉成・勝永父子も相伴してる…と。

能の太鼓に蹴鞠(もしかして和歌も)…。
勝永はつまり、もの凄くちゃんとした教育を受けていた…という事ですよね。
どうも父:吉成も「茶人」としての認知度が高かったらしいので、
この父子は想像以上に風流の道も嗜んだのかもしれません。

でもね、そうなんですよね。
「戦国時代」という呼称からか、
ついつい「戦に強い人が上位」っていうような印象が強いと思うんですが、
実は当時の「ちゃんとした人」っていう定義には、
和漢の才や茶の湯、能楽といった教養は不可欠だったと思われ。
武の道と並んでこれがあって、
「アイツはひとかどの人物=立派だ」となるんで…、
森吉成、毛利勝永父子だってそういう側面が無いと、
ましてやバックはあの秀吉なのだから、
こんな出世とかしないんだろうな…と思いました。


そして。
父子はその後、唐入りに参陣し、太閤の死を迎え、
関ヶ原へ大坂の陣へと進んで行きます…。


そんな中、
鍋島さん家との繋がりについてですが…。

九州攻めで仕事を一緒にした龍造寺家と森吉成。
そして、九州勢の懐柔策の側面もあったようで、
勝永は龍造寺政家の娘を室に貰ったと。

天正15(1587)年、政家が当主であった頃には既に、
龍造寺家の「仁王門」と言われた鍋島直茂は秀吉の直臣になっており、
且つ、実質的に龍造寺家の執政をしていたそうな。

その後、
九州平定に伴って起こった肥後国人一揆の鎮圧に、
佐々成政が失敗し、責任を取って切腹となるのですが、
この平定には、
最初の頃から秀吉の命で森吉成も加わっていて、
最終的に謀反の首謀者達を小倉で成敗したりしているらしい。

そして、
天正16(1588)年には鍋島直茂は長崎代官になり、
高来郡深堀の深堀純賢が秀吉によって追放され、
森吉成とともにその後の代官にも任じられたそうな。

天正18(1590)年、
一度政家の息子:高房が家督を継いだが、
(高房は勝永の室の兄弟ですよね)
直茂の孫娘と縁組の後、高房が鍋島の支配強化に反発し、
(これは秀吉が直茂の方を重用していた事に起因するようで)
この室を殺害し自分も自刃するという事件を経て、
同年、直茂の子:勝茂が、
龍造寺家に変わって当主として秀吉に認知されるに至っている…と。


で、
こういう龍造寺家と鍋島家の関係って、
どうやったら分かり易くなるかな〜と、
ちょっと現代敵な喩えを考えてみたんですけども…。

九州で頭角を現した龍造寺という企業があった。
そこへ中央から豊臣という大きな同業者が九州に乗り込んで来て、
龍造寺家はその傘下に入って一種子会社となった。
しかし、
二代目社長の龍造寺政家が病弱だったり本社社長と合わず、
龍造寺家の経営が不安定になってしまった。
そこで、本社社長が人事を刷新し、
龍造寺の副社長:鍋島直茂を本社採用とし、龍造寺の経営を事実上任せたが、
次の新社長:高房の不満が高く、突然退社してしまったので、
鍋島勝茂(実質直茂)にあらためて社長職を継がせる事になった…と。

う〜ん…微妙な感じも無いわけじゃないけど…(^^;、
一応こんな感じでまとめておきますw。


さて!、
次回はやっとの事で!大坂の陣でございます!!。


☆今回参考にしたもの☆

『真田より活躍した男 毛利勝永』(今福匡 宮帯出版社)
『信長・秀吉と家臣たち』(谷口克弘 学研新書)
『秀吉家臣団の内幕』(滝沢弘康 ソフトバンク新書)
『羽柴を名乗った人々』(黒田基樹 角川叢書)
『鍋島直茂』(岩松要輔 夷光祥出版)
『時空旅人/大坂冬の陣夏の陣400年』(ムック 三栄書房)

他、
小和田哲男先生の本…色々と。
例によって、
当グログが「腐」なのでリンク貼るとかご迷惑なのでできない、
某超有名歴史サイト様



☆関連事項☆

『毛利勝永、ここにあり! 1 〜いざ!大坂城へ〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/437705438.html

『毛利勝永、ここにあり! 2 〜毛利勝永って…実は通称?〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445161745.html

『毛利勝永、ここにあり! 4 〜大一番!大坂の陣〜』
http://ikiikien.seesaa.net/article/445713893.html
posted by 夏草 at 00:45| Comment(0) | 歴史の周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

気になる彼女

以前からお気に入りの歴史番組がありまして。
それは…、

『英雄たちの選択』NHK BSプレミアム 

私個人、歴史に対しての興味はさまざまあるのですが、
(人物個々人、その人間関係、お城、政治、宗教、社会の様子、
食べ物、武具&道具、そして芸術と芸能…等々)
しかし、その中で一番いつも考えるのは…、

「彼、彼女は一体どんな事を考える人、
どんな気持ちの人だったか?」って事です。

歴史上の人々は現代とは違う考え方、感覚、
そして違う社会に、違うルールで生きていた。
だけど、
人間の情動や思考のある部分は普遍的。
なので…この辺を考えるのが面白いんですよね。


この番組、
「史料から、自分の専門からそこを考えてみる」という、
まさに自分的趣味にバッチリ合致。
(でもこういう人は多いですよね☆)
なので、楽しみにしてみているのですが。


司会の磯田先生を始め、
有名な歴史学者、小説家、漫画家、
時には軍事戦略家、国際交渉の専門家、
そして哲学者、経済学者…様々な立場の人達が、
「自分なら」という立ち位置で歴史上の人物を見てみる所、
なるほどな〜とか、そういうのって考えつかなかったとか、
色々と興味深いのです。


で。
その中にひときわ、私個人の興味をかき立てる女性が…。

脳科学者の中野信子さんです。

中野さんを初めて見た時は、
「こんなにお綺麗な上に東大大学院とか…すごいんだなあ〜、
もうまさに才色兼備、しかも物腰も落ち着いてて大人な女性」と思いました。

が。

この番組では「あなたが○○だったらどうする?」という問いがあり、
(例えば『あなたが上杉謙信だったら、後継者を誰にするか?』とか)
選択肢AかBか…決めなくてはならないのですが…、
中野さんはいつも「敢えて攻めた回答」するんですよねw。

温厚で理知的な先生なのに、
リスクを取る凄く熱い人なんだな〜!と、
(否、リスクを取るのが理知的では無いとは言えないけどw)、
ギャップが面白く(イメージ的なギャップに人間は弱いですよねww)、
先生は漢だな!と、ちょっとワクワクして見ていましたがw、
(わははは…自分は漢な人が好きなのでwww)、


その後、他局の別番組で中野さんが、
聖飢魔Uの「蝋人形の館」をカラオケで熱唱しているのを見て!、
盛り上がって来た所で自分の髪の毛をむしり取ったのにビックリし!、
いつものお美しい黒髪が…ウィッグである事を知り!、
更にホントの中身は金髪に染めてる事を知り!、

いやあ……中野先生はなんて面白い人なんだ!!!

ますますファンになりました(わははははははははははははは。

なんでも、ホントに聖飢魔Uのファンらしいです。
でもって、
金髪は心の叫びなのかも(わはははははははは。
(いや別に金髪が聖飢魔Uとダイレクトには結びつかないけど、
カタいお仕事だから、通常を金髪にすると、
何かと世間的にメンドくさい事もあるかもしれないので、
こういう方法論になったのか…と勝手に推測しただけです、ええwww)


来年もこの番組を楽しみにしてます。

という事で…次回はコレ!!。

“ニッポン”のあけぼの 古代人のこころと文明に迫る
1月3日(火)午後9時〜午後11時


番宣にはこうある↓

弥生人=稲作民という常識を覆す先進集落の実像とは?
ミステリアスな銅鐸から見えてくる弥生人のこころとは?
邪馬台国の女王・卑弥呼の出身地はどこ?
番組司会・磯田道史さんが、大興奮してしまった前方後円墳とは?
さらに、悪役のイメージが強い蘇我氏が、日本の成り立ちに与えた影響も探ります。

弥生から飛鳥までを一挙に駆け抜けるというチャレンジ!
そうすることで、この国の原型が見えてきます。
最新の発掘調査や研究成果は、
皆さんが思い描く古代の姿を大きく変えるかもしれませんよ。



前の坂上田村麻呂の回も面白かったです。
古代史も相変わらず熱いな!。


そして、
1月12日 午後8時〜9時は、
戦国の女(1)“おんな城主”の賭け〜次郎法師の生き残り戦略〜

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公、
井伊次郎法師とはどんな人物だったのか?
井伊家存亡の危機に主家・今川が命じた無理難題。
城主となった彼女はどう立ち向かう?


そう…まだまだまだ知られていない事の方が多い直虎。
当時結構居たらしい「女城主」の一人として、
戦国をどう生きたんでしょうね…考えてみたいですね…。

そして勿論、
中野先生の登場、楽しみだな〜♪。
来年もこの番組に沢山出てくださいね!先生!!。
posted by 夏草 at 18:05| Comment(0) | 大河ドラマ☆おんな城主 直虎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする